術学校系の画家が師事した,ラファエル・コランとアカデミー・コラロッシの研究が先行してきた。しかし,太平洋画会系の画家や関西洋画において重要な役割を果たした,ローランスとアカデミー・ジュリアンの研究は立ち後れていたといえる。本研究はそれを補うとともに,鹿子木孟郎作品に観られる写実主義を,ローランスやメナールなどフランス第三共和制時代のフランス絵画との比較検討をもとに解析し,同時に,鹿子木孟郎調査資料に含まれる,アール・ヌーヴォーや装飾壁画関係の文献資料をもとに,鹿子木孟郎の特異な表現様式と独自な主題選択について考察したい。③ 近世初期における金碧山水障屏画の展開ー特に長谷川派の金碧山水図について一研究者:大阪大学大学院博士課程研究目的:16世紀後半から17世紀初期にかけて優れた作例が多く生み出されている金碧障屏画において,相対的にみて山水という主題はあまり好まれなかったように思われる。花鳥や花木,あるいは物語などの主題をささえる舞台として金碧障屏画に山フK景観が取り入れられることはあっても,山水そのものを主題とする作例はきわめて少ない。そのような状況下にあって,伝雲谷等顔筆「春夏山図屏風」や長谷川派作例と思われる「山杉図屏風」は,点景としての人物や楼閣も無ければ,特定の名所を初彿とさせる景物も含まない,ニュートラルな山水(風景)を描く希有な金碧画である。前者がもとは襖であった絵の一部を屏風に仕立てたもので,本来の図様の全容をつかめない作例であるのに対して,「山杉図屏風」は一双屏風として完結した図様をそなえており,考察対象としてより適切な作例であるうえに,近年興味深い類例が数点見出され,その図様の成立と変容をたどることが可能である。そこで,本研究では「山杉図屏風」を検討し,その特質を明らかにすることによって,あわせて大画面金碧山水図の不振という現象を考察したい。おそらくそこには金碧障屏画が当時の人々にどのような態度でみられていたかという問題もかかわってこよう。従来,風景が絵画になる過程に,和歌や物語によって人々のイメージの中に作り上げられた歌枕の風景との関わりが指摘されてきたが,ここでは改めて別の角度から考えてみたい。泉万-25
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