⑩ 初期写真印刷と複製美術の推移に関する研究⑪ 日本文人画の地方への伝播の研究研究者:京都国立博物館専門職員金井杜男研究目的:美術品の複製制作がさかんに行われるようになるのは,明治時代中期からである。複製の対象となったのは当時すでに美術品として評価の定まっていた作品が主であったが,複製・頒布されることによって評価を得るに至った作品もあった。作品評価と複製制作・普及との間には,あきらかな相関関係があったのである。この時代(明治時代後半)の複製は,ひとつの作品についてごく僅かの数しか作成することができなかった。これは需要も少なく,大量印刷が難しく,また印刷コストも高かったためである。それでも熱心な蒐集家が多く存在していた。複製の制作者と蒐集家との間には,複製の対象作品に対する共通の認識が存在していたに違いない。この認識は大正時代の教養主義にもつながり,明治時代以降の日本・東洋美術に対する創作意識・受容意識の問題を考える上で,考慮の範囲内に置くべきものと考えるものである。研究者:名古屋市博物館研究目的:文人画が全国いたる所で受け入れられたのは,単に中国の文人に憧れる人が多かったからとか,文人画が作品の巧拙を本質的な問題としないからという理由だけではない。より現実的な問題として,豊かな財力に恵まれて中国の文物の収集につとめ,文雅を理解する人のためにその財を投じ,文人画を志す人に援助を与えたパトロンの存在が大きかったと考えられる。そのパトロンを核として文人画の拡がりを考えてみようというのが本研究の趣旨のひとつである。ある時期からは,そうしたパトロンの手を離れて,自律的に展開し,最終的には「つくね芋山水」と呼ばれるものが出現するに到るが,それはそれほどまでに広範にわたって受け入れられた証といえよう。本研究はそのあたりの実態を明らかにすることを目指すものである。こうした文人画の底辺を探ることと併せて,文人画家の基礎固めの間に行われたであろう画学習の場についても考える機会としたい。神谷天遊が若き竹洞と梅逸の面倒-30 神谷辺上伍
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