鹿島美術研究 年報第8号
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⑫ 鎌倉。南北朝時代における中国絹織物の受容についてを見たことはよく知られるところである。また名古屋の下郷家は,江戸時代の早い頃,松尾芭蕉とつながりを持って以来,代々尾張地方の俳論の中心となってきた家であり,同時に多くの古書画を収集してきた。下郷家第六世学海は,池大雅や十時梅厘とも親交を保っていた。学海は大雅と蕪村にかの『十便十宜』帖を描かせた人物としても名高く,名古屋の重要なパトロンのひとりであった。この家には現在も数多くの文人画家の書簡や当時の書画が蔵されている。これらをはじめとした,いわば文人画の周辺資料を調査・整理・研究することが,すでに述べた文人画普及の実態解明につながると期待したことにこの研究は始まる。また,本研究のみで解決できることではないであろうが,本研究で基礎的な資料を整理することにより,曖昧さを残している日本の文人画の定義付けに何らかの貢献をしたいとも思っている。研究者:京都国立博物館学芸課研究目的:近年,中国では宋時代の墳墓から出土した絹織物の遺例が報告され,埋葬年代がわかる基準例ともなる絹織物が知られるようになってきている。しかしながら,埋葬された絹織物は長年月にわたり土中していたため,絹織物特有の風合や色合が失われており,伝世品ほどリアルな状態を現在に伝えてくれない。宋・元時代の絹織物の伝世品は中国にはほとんど伝わっていないと言われ,むしろ日本に袈裟などの形で伝世するものが少なくない。これら日本に伝世する宋・元時代の絹織物について,染織品の種類,文様,技法を調査研究し,具体的な資料を提示して,その特色を明らかにすることは,相対的に品が少なく,従来あまり研究が進んでいないこの時代の染織史研究に貢献できるものと考える。さらに,当時の日本が宋・元のどのような染織品を受容し,自らの生活のなかに取入れたかを明らかにし得れば,中国染織史ばかりでなく,日本中世の染織史を考えるうえで賞重な資料を提供することになり,ひいては禅を中心とした日中文化交流の一側面を提示することにもなると思う。河上樹-31 -

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