である。このような背景のもとで誕生した永徳の金碧大画面構成の障壁画は,単なる室内装飾というよりは,「対面」という近世的な身分秩序を確立するための儀式の場を演出するための舞台装置のひとつだったといえる。だからこそ,同じような性格の空間を保有する二条城や江戸城にも,永徳様式の再現が見出せるわけである。永徳晩年の様式については,その芸術としての価値や評価を云々するのではなく,近世的な意味をもつ建築空間に適合した絵画様式を創造し規範を作ったという点を強調し評価すべきなのである。こうした視点にたち,桃山絵画史を再構築するのが本研究の最大の目的である。⑭ 鎌倉彫刻史における作者・施主・観進僧関係についての研究研究者:東京芸術大学美術学部助手熊田由美子研究目的:彫刻史において,施主や観進僧は,造像の担い手であると同時に作品の第一の享受者でもあり,その造立意図,思想,趣味,財政基盤等は,制作者の創造活動に対してはひとつの規定要因となるものである。古代中世における宗教彫刻は言うまでもなく,「芸術家個人」の自由な創造の所産ではなく,一定の杜会的宗教的共同の所産であり,制作者は一般的にはその代弁者であるにすぎない。では近代における「芸術の自律性」という視点からみれば「未熟な」時代でありながら,高度の芸術的達成が可能であったのはなぜか。本研究のテーマは,究極的には芸術史におけるこの問題に関わっている。芸術創造力の歴史的土壌を明らかにするためには,各時代の作者・施主・観進僧相互の「共同性」の内実が具体的に分析される必要がある。しかも単に一般制度史的な理解を目的とするのではなく,その時代の最も高度な芸術的達成を示す制作者の施主関係や作品内容をはじめとして,個々の造像状況と芸術的達成に即しつつ規定要因を分析し,作品創造の歴史的様態を具体的に把握することが必要である。このことによって近代的「自律性」を超える,芸術創造への条件を見いだすことが可能となる。本研究の主眼とするところもこの点にあり,そのための基礎研究と位置づけられるが,こうした研究の進展は,日本中世彫刻と西欧中世あるいはルネサンス彫刻など,異なる地域,時代の芸術比較に際して,基本的指標を提供し,比較史的研究にさらに道をひらくことにもなるであろう。-33 -
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