⑯ 戦国大名にみる美意識ー和歌・狂歌と仙台地方の絵画を中心に一⑮ 狩野派の初期風俗画研究研究者:財団法人出光美術館学芸員黒田泰ニ研究目的:桃山時代後期から江戸時代初期にかけての制作で,現存する近世初期風俗画には,画風において狩野派の特徴を伝えるものが少なくない。それらの穏和な画風からは,狩野光信およびその周辺の絵師たちの制作を想定させる。また,文献の上からも実際に狩野光信が風俗画を制作したことが判明している。しかし,桃山時代から江戸時代にかけての風俗画は,江戸の町人芸術である浮世絵の先駆という面が強調されるあまり,作家の不明な作品をすべて町絵師の作とみなす,従来の誤解がいまだ解消されていないのが現状である。また,江戸時代寛永年間の風俗画においては,狩野派の主流である狩野探幽が幕府の文教政策に従い風俗画制作から離れたため,狩野派全体も風俗画を揺かなくなったとまで言われたこともあった。このいずれの実情も,作例に作家名を記さないのが大きな理由となっているのだが,作例の画風を研究すると,いずれの時代にも狩野派が風俗画を描いたことは明らかである。そこで,風俗画に描かれた人物の顔貌表現に着目し,それを各作品ごとに集めて分類することによって,グループの存在を明らかにしたい。そして,さらにそのグループを光信,孝信,長信といった絵師の個性に結びつけ,狩野派による風俗画制作の実体を明らかにしたい。それによって近世初期風俗画全体の作家問題を整理していきたいのである。研究者:仙台市博物館学芸員研究目的:政宗が晩年に建てた隠居所である若林城を飾った襖絵には,金地に鹿や萩や菊が描かれ,その空間を活かす形でたくさんの詩歌が書き込まれている。その詩歌の筆跡は鹿や萩や菊と美しいハーモニーを醸し出し,政宗が到達した美の極致がそこに感じられる。それは,江戸時代元和・寛永期に近衛信尋ら当時の文化人の間に流行した様式に結びつこう。政宗の生涯における文化的洗練という意味において,日本の伝統を踏まえた文化を保有している京都の公家達との交際が果たした役割は大きい。何度かの-34 小井川百合子
元のページ ../index.html#50