鹿島美術研究 年報第8号
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⑳ ルネサンス美術におけるピエタ図の研究間を取り囲んでいたことを忘れてはならないであろう。日本の障壁画は,ヨーロッパの分類からすれば,wallpaperであるかもしれないが,建築と一体化したその存在形態を根本的に捉え直すことによって,近代の美術史学が見落としてきた障壁画の重要なー側面が浮かび上がってくるかもしれない。絵画をタブローとして見ることに慣れ過ぎてしまった現代のわれわれの気付かないところに,建築と一体化した障壁画の本質が存在していたかもしれないのである。以上のような問題意識に基づいて,本研究は,対象を古代中世の障壁画に絞り,美術史と建築史の両分野から共同研究を行い,さらに総合的な考察を加えようとするものである。研究者:明治学院大学非常勤講師塚本研究目的:15世紀後半の北イタリア美術に存在する「ピエタ」図には大きな二つの要素が関与している。その一つは,フィレンツェからパドヴァに赴いた彫刻家ドナテルロの影聾で,彼の写実的様式とエンジェル・ピエタは,北イタリア美術全体の「ピエタ」図に多大の刺激を与えた。もう一つの要素は,トスカーナとは異なる,北イタリア特有の歴史的環境である。ヴェネツィアは,東のビザンティン美術の受け入れ地として多様な中世的図像を保持していたが,そのなかでも「デーシス」の変形図と考えられるパオロ・ヴェネツィアーノの「ピエタ」(3人)は,ヤコポ・ベルリーニを介してルネサンス時代にも大きく作用していたと思われる。ドナテルロのエンジェル・ピエタは元来シエナのプレデルラのピエタから派生したと考えられるので,パドヴァでのドナテルロの活動には,フィレンツェの造形性と中世以来の図像が混合した面があると見られる。したがって「ピエタ」図の研究は地理的にはシエナからバルカン半島に渡り,時代的には1300■1500年に及ぶ実に興味深い内実を備え,北イタリア・ルネサンス美術を新しく照射することになる。筆者は修士論文でドナテルロ研究をはじめたが,今,浮彫と絵画の相互的交渉を射程に収め,従来の絵画史研究だけでは把握できなかった,「ピエタ」図展開の実相を明らかにできると思う。博-44

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