⑪ ハイバーノ・サクソン装飾写本に於ける文様美術の影響関係頭王の第二聖書本」(パリ,国立図書館蔵•879年頃)や「フランソワニ世の福音書本」680年頃),「ケルズの書」(同,800年頃),「リンディスファーン福音書」(大英図書館・698年頃)を飾るケルト文様一渦巻・動物・組紐等ーをそのイニシャルや枠の装飾に多研究者:早稲田大学文学部非常勤講師鶴岡真弓研究報ブリテン諸島と大陸,とりわけカロリング朝写本制作所は9世紀に活発な交流を深めた。また同じく9世紀に北欧スカンジナヴィアから南下しブリテン諸島の修道院を初期には略奪・侵攻の目的で破壊しながら後に原地に定住しケルト美術とスカンジナヴィア美術の融合を計った,いわゆるヴァイキングの集団の動きがある。①先ずカロリング朝美術ではシャルルマーニュ帝の古典古代地中海文化の継承という重要な政策のもとに,古代末期の自然主義的な造形表現が写本挿絵の中に取り入れられたが,これに並行して“ハイバーノ・サクソン”の文様を吸収した“フランコ・サクソン”派の写本が発展する。もとよりカロリング写本制作の指導者として招かれたのがケルトの学僧アルクィンであり,ケルト系写本の装飾がここに流入する素地はあった。トゥールをはじめ,サン・ヴァースト・トリール等の修道院で生み出される「シャルル禿用した重要な写本であり,“ハイバーノ・サクソン”様式の大陸への影閻を明示するものである。②一方,こうした写本の装飾は聖遺物匝や装身具のデザインを通じて広く9世紀のヨーロッパ美術に広まっていったが,上記のヴァイキングの活動によってケルト金工品が北欧へもたらされ,現デンマーク,スウェーデン,ノルウェーが11世紀頃,キリスト教化されるに伴い,その聖堂建築の装飾に文様美術が定着する。特に今日スウェーデン,オスロ大学,ヴァイキング美術館,歴史博物館等に所蔵される金工品と,同国中部のウルネス,ボルグンドに現存する木造教会には,カロリング朝写本より以上に上記の北方装飾文様の力強い表現性がみとめられる。以上の二地域に跡づけられる装飾は,やがて盛期ロマネスクの動・植物装飾の構成の要素として,相互の影靱関係の解明が待たれている。(同•9世紀後半)は,ケルト系の代表的作例「ダロウの書」(ダブリン大図書館蔵・45 -
元のページ ../index.html#61