鹿島美術研究 年報第8号
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代様式の宋代と元代を一つに括ってしまう“宋元画”という言葉を南宋院~画に対し⑩ 近世の金銀泥絵に関する調査研究ー武術秘伝書の料紙装飾を中心としてにほとんど失われ,元時代以後学ぶべき古画とは第一に宋画であった。つまり元末以後,絵画史の主流となる文人画家達の基礎も宋代絵画にあり,中国絵画史を学ぶものは,まず第一に宋画を理解する必要がある。い日本には宋画の優品が多数現存し,その大半を占めるのが南宋時代の画院画家の作品である。主要な画院画家,例えば李唐,馬遠,夏珪らの画風を検討する際に欠かすことのできない作品が日本に存在し,梁楷にいたっては名品の大部分は日本にあると言ってよい。日本の南宋院体画の研究は比較的進んでいる。しかし,古くより中国画が伝わり,日本美術の構成要素の一つと見なされてきた特殊な事情により,本来全く異なった時て使う場合がある。南宋院体画の規準となる作品を明示し,画院画家の個人様式及び流派を追究することによって,こうした状況は改められるであろう。また,それは日本の室町水墨画の研究に査するものである。研究者:東京国立博物館学芸部美術課絵画室長松原研究目的:近世の料紙装飾における金銀泥絵は,琳派を除くとその担い手の多くが名もない職人であることに起因してか,魅力ある作品が乏しい。また絵巻や奈良絵本などの詞書料紙にはしばしば金銀泥絵の装飾を伴うものがあるが,それらはおおむね年紀を持たない。従来,近世の金銀泥絵が美術史の研究の対象となり得なかった原因もそれらの点にあるといえよう。そこで,注目に価するのが,武術の免許状や伝書の類である。これらには当然ながらほとんどの場合,伝授の年月日が記されている。しかも,「鉄砲之発書」(慶長19年写,東京国立博物館蔵)などのように華麗な装飾料紙を用いたものも少なくない。だが,これまでは,美術史研究者からも,歴史家からもまったくといっても過言ではないほどに等閑視されてきた。この研究では,基準となる有年紀作例を武術秘伝書の装飾料紙に求めることにより,様式変遷の骨組を構築し,これに従って他の作品を分類することを目的とする。古代以来のやまと絵の伝統を内在するこれらの金銀泥絵の様式を正しくとらえるこ茂-51-

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