⑫ 木村探元の作品研究研究者:鹿児島市立美術館学芸員山西健夫研究目的:日本美術史研究において,地方における美術史の調査研究は重要な意義を持つと考えられる。近世以前の日本社会では,地方は各々独自の風土に培われた文化を有し,美術もその埓外ではないからである。勿論,地方における美術は,中央から大きな影聾を受けている。地方美術の研究では,その独自性をさぐることと同時に,中央からの影聾を関連づけて考えていく必要がある。薩摩藩島津家の御用絵師木村探元は,鹿児島の絵画史を語る時に欠かせない重要な作家である。探元は狩野探幽に私淑し,その作画活動全体を通して探幽様式が探元の画風の基礎をなしている。しかし,探元の画風は,優美で柔和な探幽様式には収まりきらない力強さを持っている。作画活動中,後期においては雪舟様式を取り入れ,明らかな雪舟風の山水図や,両様式が有機的に結合した,探元様式と呼ぶにふさわしい優れた作品を生み出す。また,宋元絵画,なかでも高然暉山水と呼ばれる一連の山水図を多く手がけている。画題の面からは,富士山図を多く描いているのも特記される。このように,木村探元は幅広い画風を示しつつも,一本芯の通った剛直性を有している。ここには武を尚ぶ薩摩人としての気質が背景にあるとも考えられる。いずれにしても探元の作品は,江戸時代中期の狩野派のなかでは相応な質の高さを保っている。探元は,江戸中期以後の狩野派が粉本主義の弊害によって芸術的活力を失うという説にはあてはまらない興味深い作家と言えよう。本調査研究で,探元の画風展開をより明らかなものとし,従来あまり注目されなかった探元の作品を再評価できればと考える。そのことは,近世絵画史の研究にも資するところ大きいものがあろう。⑬ 焔摩天十九位曼荼羅中尊焔摩天の武装形の由来と五道大神について研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期山本陽子研究目的:多様な密教図像の像容を解明するにあたっては,これまで,密教教理の面から,あるいは日本における変容,高僧の創意という観点に拠ってのみ語られることが多かった。しかし密教が盛行した唐代の中国に於ける変容,殊に在来の中国の神々との習合という観点から研究されることは,中国民間信仰の遺品の少なさも災いして,あまり-53
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