鹿島美術研究 年報第8号
70/364

⑭ 鎌倉時代における弥勒菩薩と弥勒信仰行われなかったように思う。この烙摩天十九位曼荼羅の図様も,鳥羽僧上の創意に拠るともいわれ,これまで中国における変容が全く考えられずに過ぎて来た密教図像の一つである。その中尊,烙摩天の武装形に限定して,中国土培の冥界神に源を求める試みは,題材としては小さいものであるが,密教図像におよぼす唐代の中国在来神の影需の一例として,密教図像の研究に,新たな視点を付け加えられることを期待したい。研究者:学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程研究報鎌倉仏画の有する多様な性格を,一層深く理解するために,顕教と密教の両者を通じて造形化された弥勒菩薩像と,その信抑的背景を研究することは,極めて有効な手段と考えられる。本研究の目的は,まず,鎌倉時代に制作されたと見なされる,主要な弥勒菩薩画像に関して,その特色や制作年代をより詳しく捉え,それぞれの作品の美術史における位置づけを行うことにある。この時代,弥勒菩薩画像は,平安以来の伝統を引く密教像の他,顕教においても,釈迦・弥勒信仰の復興の気運に乗じて,しばしば制作されたにも拘らず,従来,浄土教絵画への関心の高さに比して,閑却されがちであった。従って,様式や年代を考察するための基本的資料が不足しているので,まず作品に即した実証的調査・研究が,第一の急務といえよう。同時に,当時の弥勒信仰の内容を探り,それぞれの作品の信仰的背景を解明することも必要である。以上のような検討を通じて,まず絵画遺品の位置づけを行い,更に白描図像や彫刻作品をも考慮に入れて,古代末期から中世に至る弥勒菩薩像と弥勒信仰の展開を,総合的に把握することが,第二の目的である。なお,今回とりあげる作品の多くは,南都の寺院に伝来しており,制作も南都において行われたと考えられる。それゆえ本研究は,鎌倉時代の南都仏画を考察する際の,有効な切り口ともなるであろう。_ 54 吉田典代

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る