鹿島美術研究 年報第8号
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りティーノ・ディ・カマイーノ作皇帝ハインリッヒ7世の墓のルネッサンス美術への影響てきた当時のヴェネツィア人文主義に加え,最近の社会史的研究方法を取り入れ,ヴェネツィア共和国を危機に陥れたカンブレ同盟戦争下の社会情勢との関係から,これらの作品が注文された当時の精神状況を探ることにより,新たな解釈を試みようと思う。ヴェネツィア,ワシントンで大規模な展覧会が催され,それにともない,新しい研究がいくつか発表され,また今後も発表されることが予想される。この機会にティツィアーノ研究においてとくに大きな意義を有する初期の作品についての研究を深めることを希望する所以である。研究者:群馬大学教育学部美術教育講座助教授研究目的:従来の西洋美術史がニコラとジョヴァンニ・ピサーノ父子を除いては中世後期ピサ派芸術の重要性を認め得なかった点を単に修正するものとしてのみティーノ・ディ・カマイーノのハインリッヒ七世の墓研究,又その墓の後代への影響に対する研究を目ろむものでない。若きティノー及び彼を迎えたピサ杜会にあらゆる時代を超越する普遍的で強大な創造的芸術への意欲を認め,それがルネッサンスの原型として一躍登場するモニュメントの優れた特性を明確にし,そして15世紀からのフィレンツェ主導型ルネッサンスヘの史的光源として果した役割の大きさを示さんとするものである。同時に今日迄全く認識されなかった課題の存在を広く提唱し,批判的な考察から今後の美術史研究の進展を期すものでもある。これにより従来のフィレンツェ・古代ローマ直結型ルネッサンス像はより批判的に検討され,ひいては西洋美術史全体の把握に微妙な地殻変動をもたらすものと思われる。必然的に今日迄の記述されて来たイタリア美術史の軌道修正が今後可能となるであろうが,何よりも真実のルネッサンス像を獲得することの意義は大きいものと思われる。プルクハルトにより強調された“世界と人間の発見”としてのルネッサンス像の典型を1315年の墓の内容に認め,1400年代より豊かに開花したルネッサンスに直結するプロセスを追体験して行くことは,ルネッサンスを近現代の出発点,我々に身近でそこから常に教えを得るべき源泉として捉え直すことに必ずや寄与するものであろう。かくして得られるルネッサンスの今日的認識により,時代の価値混乱下に生きる我々に一つの将来的展望を形成する指針が与えられるのではないだろうか。そしてこれは美術史の学問的目的にも合致するもの1990年は,最近もっとも広く支持されている彼の生年,1490年頃からほぼ500年にあたり,圃名保紀-58 -

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