鹿島美術研究 年報第8号
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霧や霞を形態(例えばすやり霞,金雲)をもって表現する場合も含み,金泥引きの手法は日本絵画においてむしろ装飾的効果を目的として使用され,空間や大気表現には直接結びつかないものが多いなかで,等伯,友松等の空間把握は日本的手法を用いつつも,中国水墨画の本質に迫ろうとしている。これは彼らがすでに水墨のみによってその本質を捉える試みをなした後の,時代的,日本的帰結であったとも考えられる。さて,このような種々の中国絵画受容の試みのうち,特に海北友松の場合を一例として,より具体的にその手法を考察する。友松初期の作とされる浄信寺「東王父・西王母図屏風」(以下浄信寺本とする)は,著色の比較的緻密な人物表現と背景の樹木,土披の粗野な水墨表現が混在した作品である。この作品は,友松様の確立以前の,試行錯誤の時期の様子を伝える格好の例であると思われるので,以下,この作品を中心に述べることとする。まず,浄信寺本右隻の西王母図を見てみよう。大きく張り出した松樹の根の上に,向ってやや左向きに片足を組んで腰掛ける西王母が,切れ長の目を持つ顔だけを右方の献桃童女に向ける。この図様は,実は水月観音に起源する羅漢図の一つの型として,既に南宋の東京芸大本「第十三尊者因掲陀図」に描かれている。形態の点で芸大本羅漢と西王母は共通するが,細部描写でも,天衣の翻りや樹の根等々に近似が認められる。芸大本と同図様の霊雲寺本(鎌倉時代)では,羅漢の腰掛けが樹の根でなく丸椅子になっていることなどをみると,西王母図は芸大本により近似しているといえる。西王母の背にあるあまり意味のない衣の端や,描かれない片手首,足先等の不自然さは,羅漢図に照らし合わせると本来の形がはっきりし,羅漢から西王母への幾度かのし崩れの間に形が意味を失っていることがわかる。西王母への羅漢像の粉本利用は,元の意味を想像させる目的を持つ「見立て」とまでは考えられないが,友松の作画にしばしば見られる,形態のみを借用して,意味,主題を転換するひとつの手法である。次に,浄信寺本の童女が旧大仙院狩野元信筆「西王母・東方朔図」のそれと近似することがすでに指摘されているように,樹木,西王母,童女と言う「羅漢図」からの組み合わせモティーフの借用のなかに,友松は,更に別の粉本をいくつか重ねて取り入れている点は興味深い。中でも,西王母の座る松木の中央部分にある誇張された枯枝は,鷹や龍の鋭い爪のような形をしていて,本図の他にも友松の霊洞院「琴棋書画図屏風」右隻右から四扇目の松の左枝,禅居庵「松図襖」の松右枝,東京国立博物館-72 -

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