「琴棋書画図屏風」左隻の樹の枝等に描かれている。本図の場合はその特徴を最も顕著にしているが,この表現は,李郭派の作品(例;大阪市立美術館伝李成・王暁筆「讀碑棠石図」,澄懐堂文庫伝李成筆「喬松平遠図」,北京故宮博物院伝王読筆「漁村小雪図」等)に見られる非常に特徴的な枝の先端の表現であって,これを友松は樹木のポィントとなる場所に填め込んで画面に強いインパクトを与える役目を負わせているのである。このような北宋的モティーフの受容は当時の絵画作品に多いことではない。友松が独自の画風形成を志向する過程で取り入れたこのモティーフは,その後も先にあげた霊洞院,禅居庵などにおける友松画においてより,消化された形で用いられ,画面を引き締め,勢いを与える効果を担う大事な部分モティーフとして,定着してゆく。このモザイク的な,即ち部分的な粉本使用の重ねあわせから成る作画法は,友松画にしばしば見られる。最後に,友松画風の特徴のひとつである,同一画面内において真体,行体,草体が混沿しているという点も、また、中国絵画との関連で捉えられそうである。浄信寺本を始め,妙心寺「寒山拾得・三酸図屏風」,同「琴旗書画図屏風」等にも水墨の柔軟な筆致による行体的背景描写と,着色の細密な人物描写による真体的手法とが同居しているが,先に見た芸大本「羅漢図」の著色の人物表現と背景の樹木のやや荒い水墨表現との関係は,このような友松画風に大きく示唆を与えたものと考えることが可能である。彼の初期の作とされる浄信寺本制作の時点で,既にそのような手法を学んでいることは,妙心寺本を含むその後の画へと展開する画風形成上のひとつの契機となったといえる。狩野派から脱皮し,独自の画法を探求する過程で,友松は大和絵,室町水墨画,中国絵画と,範囲を定めない学習をしたが,他の画家とは異なるものを取り入れようとした意気込みは,このような中国絵画受容のあり方によく表れている。以上,本稿では,わずかな例を代表させて述べたに過ぎないが,友松の画風形成期においてその作画法に深く関わると考えられる中国絵画と友松画との関連について見,彼の中国絵画理解,及び受容の一端について考えた。73 -
元のページ ../index.html#97