鹿島美術研究 年報第9号
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ようょうよう倉時代以後に散見する。袈裟の葉には白地の紗を用いている。この紗は地組織が経糸3本1組で捩れて透目をつくり,文を緯3枚綾であらわした,いわゆる顕紋紗であるが,後世の顕紋紗のように文の組織が平織でなく,古様を示している。この顕紋紗の文様は,牡丹,芙蓉,椿などの植物文様を主としており,部分的に枝の先に綬を結んだり,牡丹の葉のなかに小花をあらわすという特色がうかがえる。もう1領は,正伝寺の開山である東巌の伝法衣と伝えられる九条袈裟で,田相部には白地の顕紋紗,葉には紺地の顕紋紗を用いている。田相部の白地の顕紋紗は,前述文様は折枝風の二重災牡丹文を主文様として,椿を配した唐草文ふうの構成で,一部の牡丹の業のなかには小花をあしらっている。葉に用いられた紺地の顕紋紗の文様は,牡丹と芙蓉を唐草文風にあらわし,やはリ一部の業のなかには小花をあらわしてる。2領の袈裟に用いられた3種の顕紋紗は,特にその文様において顕著な特色を示している。すなわち,文様はそれぞれ異なるか,牡丹,芙蓉,椿など花舟のモチーフで構成し,部分的に二重筏を表現したり,葉のなかに小花文をあしらったり,また枝に綬を結ぶなどの共通した特色がうかがえる。これに類似する文様の顕紋紗は中国福建省福州の淳祐3年(1243)の輩誌をともなう黄昇硲から発掘されている。黄昇蔭から発掘された顕紋紗の文様は,牡丹や芙蓉の花文を主たるモチーフとしたもので,これらの文様には,①牡丹や芙蓉,山茶花などの主たるモチーフに対して梅花,桃花,海棠,枢子などの花を聞に配する折枝文風あるいは唐草文風の文様構成であること,②枝(災)の一部が二重災となっていること,③枝置)に綬を結ぶこと,④一部の葉の内部に小花文を織り出していること,⑤南宋院体画(折枝画)に通じる写実的な花文の表現がうかがえることなど,南宋時代の絹織物における文様の特色をよく示すものである。正伝寺の2領の袈裟に用いられた顕紋紗にみる文様は,まさにこの南宋時代の文様の特色を備えている。また同時期に正伝寺の袈裟と類似した文様の袈裟が存在したことは,和歌山県由良の興国寺に伝わる無本党心(法燈国師,1207■98)の頂相からもうかがえる。無本党心は建長元年(1249)に入宋し,無門愁開の法を嗣いで,建長6年(1254)に帰国,その後,紀伊由良の西方寺(現在の興国寺)の開山となった。の1領目の袈裟と同様の組織で,透けた地に文様が浮んでみえる顕紋紗である。その-81 -

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