領は冗庵普寧の師である無準師範所用の可能性が十分にあろう。もう1領は東巌の所料と伝えられるが,東巌自身は入宋していないので,あるいは冗庵普寧が南宋から携えてきた袈裟ではなかったか。中国では黄昇墓の出土例からもわかるように,こうした特色ある文様の絹織物が賞族女性の衣服として用いられていたか,また同時に高僧の袈裟にも仕立てられて日本にもたらされる結果となった。][庵普寧が請来したばかりではなく,無本覚心もこれに似た文様の袈裟を着用していたことからも,当時における南宋の絹織物の受容の一端をうかがうことができる。83 -
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