る。したがって,この7面をもって松栄周辺による扇面洛中名所絵制作の実情全てが語れるわけではないが,多くの絵師を抱えた松栄工房の存在の一端が明らかになったと思う。しかも,金の使い方にみた箔.泥併用を室町やまと絵の系譜と結びつけて考えれば,洛中風俗図の発生,ひいては洛中洛外図屏風の発生に係わる,やまと絵師(すなわち土佐派絵師)の存在が具体的に指摘されなければならないであろう。あるいは,狩野派における和漢融合の実態を示唆するものとして注目されなければなるまい。次に,狩野松栄周辺による同種の風俗画作品との比較を行うことにする。その代表的な作例は「洛中洛外図屏風(国立歴史民俗博物館乙本)であろう。この屏風に関しては,小林忠氏が『国華』1105号で紹介され,それによると筆者については次のとおりである。「元信以来の狩野派本流の細画様式を保守的に継承し,それの形式的な固化へと傾きがちであった松栄の影特を強く受けて育ち,前代の古様な素朴さをひきずりつつ上杉本の筆者(おそらくは永徳)の新しい時代感覚に共感を寄せるといった画家像が,改めて浮かんでくるのである。」また画趣に関して小林氏は,「筆者の客観的で冷静な都市風俗画に対する姿勢」があり「おだやかで静止的な人物たちが,小さく,しかも全体にまばらに散在させられているために,画面の閑寂の度合いがいっそう高められているのである。」とする。松栄周辺の絵師であるということ,閑寂な街の様子ということは,本報告の扇面と一致している。さらにこまかく屏風をみていこう。特徴的なことがある。それは,建造物の中には,不合理で目立つゆがみが認められるということである。たとえば,建造物の前面が直線であるのに対し,後面は曲線になるという例がいくつか認められるのである。また,金雲についても描かれた京都の各場所においては,遠近感表現の機能を果たしているものの,屏風全体としてみた場合,有機的な景観の連関が希薄な印象を受ける。まるで街角ごとの絵を集めたように思われる。それは人物表現においても同じことが認められる。街頭における群衆表現が,街全体につながらず,いくつかの集団ごとのやや羅列的な表現なのである。人物の姿態表現をみると,前傾する点,プロポーションは本報告の扇面と近似する。特に群衆のやや羅列的で静かな配置は,「直信」印を捺す扇面と同じ画趣である。このような点から考えられるのは,次のようなことである。「洛中洛外図屏風」(歴博乙本)は,いかにも京都の名所を個別に描いた小画面を多教集合させて完成したと-90 -
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