鹿島美術研究 年報第9号
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•八王子城跡(八王子市元八王子町)出土品=脚鋳型・精銅炉(9世紀)※その他神奈川県内においては,鎌倉周辺に鍋や銭の鋳型の出土例は多い[東京都]出土品=鉄砲鋳型・用禍・羽口(16世紀)以上のように,鋳型や炉を出土する鋳造遺跡の存在は近年増加する傾向にあり,全国的にも,鉾の浦遺跡(福岡県太宰府市)・真福寺遣跡(大阪府南河内郡美原町)・京都大学構内遺跡(京都府京都市)・山田寺跡(奈良県桜井市)・豊原寺遺跡(福井県坂井郡飯島町)・寺平遺跡(長野県上伊那郡飯島町)などが知られている。ただし,ここで留意しなければならないのは,これら大規模な鋳造遺跡は鉄の鋳造を中心とするものが多いことである。元来,日本における金属生産の冶金学的な考察では,鉄と銅の生産は区分されて考えられていたため,鋳造遺跡の研究に際して,鉄の鋳造に関する資料をそのまま銅の鋳造にあてはめて考えることはなかった。しかし,前述した大阪府の真福寺遺跡では,銅製梵鐘の鋳造跡とともに,鉄鍋の鋳型が出土し,銅と鉄を兼業とする鋳物師集団の存在が確認されており,考古学の成果により日本における中世職人の職域を再検討する必要が生じてきた。さて,本報告の主旨は武蔵国の鋳物師について論じるのであったが,注目したいのは埼玉県坂戸市の金井遺跡である。同所からは,大阪・真福寺遣跡と同様に鉄製日用雑貨の鋳型(鉄鍋など)とともに梵鐘や仏像など銅製品の鋳型も出土している。東国においても,鉄と銅を兼業とする鋳物師の存在を確認できるという点で興味深い遺跡である。また,近年,中世の職人についての論考が歴史学や民俗学の立場から多く発表されているが,東国の中世鋳物師の仕事ぶりを考え直す資料としても注目されるべきであろう。さて,金井遺跡で発掘された仏像鋳型であるが,前後二枚の合わせ型(外型)であり,像高約12cmの天部形像の鋳型である。金井遺跡は,まだ出土品の整理が終了していないため,仏像鋳型の断片がさらに見いだされる可能性もあるが,現在確認されている鋳型は像背部の鋳型に一部欠失部分があるものの,ほぼ像の概容を把握できるものである。土はやや粒子の粗い赤土を使用し,前後の型を合わせると頭部を頂にほぼ円錐形をなす。実見する限り内部の彫りはあまり細かいものではなく,出土品であるがゆえの損傷を考えても,当初からそれほど緻密な細工が施されていたとは考えに〈い。おそら〈,本鋳型を用いて鋳造された像の出来は,大雑把なものであったと考え-98 -

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