鹿島美術研究 年報第9号
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に1天使を伴う聖母子を表す。アプシスの十字架と羊は,初期キリスト教美術で好ま少なくともハドリアヌス1世時代のサン・クリソゴノ聖堂,サンタ・マリア・アンティークア聖堂の壁画の図像には新しい変化は認められない。再生の兆候は図像の領域に限って言えば,レオ3世の時代の絵画になって明白になる。教皇書はレオがサンタ・スザンナ,レオの会堂,サン・ピエトロ付属トリクリニウム・イン・アコリ,ラテラノ宮第2トリクリニウム,サンタ・クローチェの礼拝堂,同教会の大天使礼拝堂にモザイクを奉納したことを伝えている見サンタ・スザンナと第2トリクリニウムについては古い記録と素描だけだが,レオの会堂のモザイクは残された素描から復元も試みられ,モザイクの断片もヴァチカンに保存されている。サンティ・ネレオ・エド・アキレオ聖堂については,トライアンファル・アーチのモザイクが現存し,アプシスのそれはレオの奉納銘と共に,1596年の修復で失われたが,模写がヴァチカン図書館に保存されているので,全容を知ることができる。アプシスの中央を垂れ布を背景に大きな十字架が占め,左右から3頭ずつの羊が十字架に向かって進む。トライアンファル・アーチのモザイクは,中央に変容,左に聖告,右れた象徴的な図像であると同時に,イコノクラスム時代ビザンティン聖堂のアプシスを飾ることが許された唯一の図像である。例えばミラノ大聖堂宝物館蔵の5世紀の象牙彫二連板(福音書の装丁板の一枚には垂れ布の前の十字架を中央に表す),イコノクラスム後の8世紀の東方では,コンスタンティノポリスのハギア・イレーネ聖堂,テッサロニキのハギア・ソフィア聖堂,ニケーアのコイメーシス聖堂や,カッパドキアの例が知られている。ローマでも5世紀初頭のサンタ・プデンツィアーナ聖堂,7世紀半のサント・ステファノ・ロトンド聖堂の例があるが,9世紀のモザイクの直接的な手本は,ラヴェンナのサンタ・ポリナーレ・イン・クラッセ聖堂のモザイク(549年頃)であることが指摘されている。教皇書に記されたラヴェンナの聖堂の屋根の修理が,すぐ下のキリストと福音書記者の象徴のモザイクにも及び,サンティ・ネレオ・エド・アキレオ聖堂の装飾の直前に行われたことから,その手本となり得たと考えられている見またレオ3世が会議堂(第2トリクリニウム)にサン・パウロ・フォリ・レ・ムーラ聖堂のトライアンファル・アーチと類似の図像を完全に再現させたこと,しかもサン・パウロ聖堂でレオが地震の被害で祭壇の上の屋根を修理したことを教皇書が伝えていることから,そのモザイクに関してもレオによる修復が推定されている4)。レオ時102-

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