Scultura, Nl7, 10)。この指摘を受けて,ブランクーシの内側ではさまざまな神話の断片が渾然となってそこに独自の完結した神話的な世界が形成されていたと仮定してみるとどうなるだろうか。それは,誰もがいつかどこかで見たり聞いたりしたことかあると感じるような神話的な開闘,再生,超越者,永劫の物語である。そこにはルーマニア的なものも大きく作用していただろうが同時に,パリにでてきてから得た知識や情報も渾然一体となっていたのではないだろうか。それはブランクーシの内側で常に変化しつつその晩年へむかって成熟し続けていった。視点を変えれば,それはブランクーシを取り巻く環境が暗黙のうちに彼に求めていた姿,つまり時代の要請ではなかっただろうか。ブランクーシは彼の周りにいる文学者,詩人,評論家,ジャーナリスト,芸術家が評価するものの本質をそれとは気付かれないような巧みな方法によって摂取していったのではないだろうか。それでは,そのようなファクターの具体的な供給源を私たちはどこに求めるべきであろうか。そこで,再びルーマニアを持ち出すと論はもとに戻ってしまう。20世紀初頭のパリという環境のなかでそのような超越的で瞑想的なものがあったのだろうか。ここで私たちはこれまでの研究でもたびたび指摘されてきたふたつの事柄に着目すべきであろう。ひとつは,11世紀のチベット僧ミラレパの伝記であり,もうひとつはエジプトの「死者の書」である。前者については多くの研究者が指摘しているもののプランクーシがいつ頃どの版を読んでいたかは同定できていない。一方,後者については,ブランクーシの蔵書のなかに「死者の書」が含まれていると記述しているのはイオネル・ジャノーのみである。もちろんこれについても年代,版についてはまった<わからない。しかし幸いなことに,今日ブランクーシの遺品のほぼ全てがそのアトリ工とともにパリ国立近代美術館に追贈され保存されている。私たちはまずここからスタートすべきであろう。ブランクーシの遺品のうち彫刻類,調度,道具はアトリエとともに現在国立ポンピドー芸術文化センター内にある国立近代美術館が管理している。(以前これらは,ポンピドーセンターの前庭に移築されたアトリエ内におさめられていたか,建物の老朽化により現在は収蔵庫へうつされ,部分的に本館内常設展示場で展示されている。)また,資料的なものについては,国立近代美術館資料室に収められているブランクーシの蔵書つまり図書資料は249点で,これにさらに手紙,スクラップブックなどをおさめたブランクーシ・アルシーヴとよばれる二箱の資料が加わる。図書資料の内訳は,単行本107
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