2.新印象派の作品(1893■1894)にも,海辺で人びとかくつろぐ,穏やかな時が見いだせる。シニャッれたオアシスとして,人びとに日常を脱する,此岸と彼岸のような感覚を与えていたにちがいない。しかも島を囲むセーヌの右岸と左岸とでは,かたや裕福な人びとの居住区であるのに対し,一方は工場と貧民街という対局的な環境にあり,島は両者から人を集め,だれもが憩えるやすらぎの場にほかならなかった。すなわちこの島は,ある意味で,現実に階級を超えた杜会をかい間みられる理想の地だったといえよう。スラが取材しているのは,まさしく,そうした現実のなかの一杜会そのものである。この作品がブルジョワ杜会にたいする反発や,「アンチ・ユートピア」を表したものであるとする解釈は,おもに人びとの表情の堅さかその理由になっているか,これらはスーラの美学的な趣向であり,これをもってその概拠とはできないであろう。新印象派の画家たちは,フーリエ等,杜会主義思想に多かれ少なかれ共嗚していたか,スーラがあいまいにしか語っていないこの思想的な立場をより明確に表明したのは,ポール・シニャックである。<調和の時代>(1896)や,<井戸端の女たち>(素描)には,シニャックが共嗚していたいわゆる社会主義的なユートピア観かとてもよく表われている。シニャックはここで,人間同士の絆や,家族関係を強調し,階級のない平和な理想的杜会を造り上げている。南フランスの理想郷にくりひろげられた杜会は,画家自身の言葉によると「未来における」「黄金の時代」を視覚化したものであった。実際一見したところでは,古代世界を思わせる光景だが,これらの地に登場する人びとは,現代的服装に身を包んでいる。か,作風はといえば,むしろシャヴァンヌ的な要素かつよく,少なくとも未来指向的な感じがないのが特徴である。同様に,アンリ・エドモン・クロスの<糸杉のある悔景>(1896)やくタベの大気>クから強い影評をうけたクロスの作品には,理想郷を思わせる光景を描いたものが少なくない。舞台はシニャック同様,南フランス沿岸の人里知れぬ陽光あふれる豊かな土地をおもわせる。か,登場する人びとは,古代風の衣装をまとい,ここでは,人間の絆や平等社会を唱えるような意味を見いだすことは不可能である。それは,何世紀もの昔にかの地で繰り広げられたかもしれない,まさしく古代のアルカディアを初彿とさせるものに他ならないのである。シニャック,クロスを通してその画業の初期に新印象主義になれ親しんだアンリ・-111-
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