鹿島美術研究 年報第9号
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0『桑実寺縁起絵巻』二巻桑実寺蔵(詞書,後奈良天皇,青蓮院尊鎮,三条西実隆米より興味深い作品として注目していた『長谷寺縁起絵巻』(全六巻,奈良•長谷寺蔵)(1617■91)の極書があり,それによれば絵は土佐光茂の筆であるという。また詞書の1点のみであるか,さらに従来光茂の作と認定されているものに従来より先学諸氏によって研究がなされてきた。しかし未だ充分でない。が,室町絵巻の全体を見通す上で,この両名の画業を検証することは絶対に避けて通ることができないのである。まずは基準作の抽出こそが急務であろう。ところで従来絵巻の研究といえば,一方的に絵のみに偏し,その詞書をなおざりにする嫌いがあった。しかし絵巻が絵と詞書とで成り立っている以上,絵と詞書双方の研究か不可欠のはずである。しかも絵巻の詞書に筆を執った人物は,おおむね当代の貴紳たちであり,彼らの動向やその閲歴に関しては,むしろ画家以上に明らかなことが多い。そこで本研究では,絵巻の詞書にも留意し,その書風検討をも含めた総合的方法によって土佐光信,光茂の絵巻作品のいくつかを調査・検討した。なかでも今回は,従を取上げ,いくつかの関連査料との比較を行うこととした。さてこの六巻本『長谷寺縁起絵巻』は,第六巻々末に元禄三年(1690)土佐光起については,同じく第六巻々末に古筆了佐(1572■1661)の極書があり,これを近術尚通の筆であると伝える。光起はいうまでもなく光茂の画系を承け継ぐ土佐派の画人。了佐は鑑定をなりわいとした古筆家の机,その鑑識力には定評がある。となれば両者の極書は充分検討にあたいするだろう。まず問題として取上げたいのは,光起の極めである。果たして光茂筆としてよいのだろうか。現在までに光茂の制作年も判明する絵巻の基準作としては,寄合書)0『十念寺縁起絵巻』二巻十念寺蔵0『由原八幡縁起絵巻』二巻杵原八幡宮蔵(詞書青蓮院尊鎮書)などがある。そこで今回これらの作品と圃風を比較した結果,人物の面貌表現などに争い難い共通性があることが判明,伝称通り光茂の作品と認めて差支えないことが分かった。しかも注目すべきことには,人物のプロポーションや樹木の形態などに,0『清水寺縁起絵巻』三巻東京国立←博物館蔵と極めて近い点があることが分かった。『清水寺縁起』は,いうまでもなく永正十四年115-

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