⑫ 戦後のドイツ美術ー一象徴主義的系譜と表現主義的系譜研究者:大谷女子短期大学専任講師仲間裕子旧西ドイツでは1960年代にゲオルク・バゼリッツやマルクス・リュパーツなどの芸術家を中心に,ドイツ固有の表現を求めようとする運動が,かつての表現主義の地盤であったベルリンで展開された。80年代の初期に至ると,彼らの表現の直接性は国際的な評価を得るようになった。いわゆる新表現主義あるいはニュー・ペインティングと呼ばれる絵画である。しかし,ニュー・ペインティングの代表的画家の一人であるアンゼルム・キーファーの作品は,これら主流の表現主義的系譜とは異なり,象徴の持つ喚起力に訴える象徴主義の系譜に位置すると思われる。本研究はこのような視点から,キーファーの作品をドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒとの関連において検討する。ここで注目されるのか,ロバート・ローゼンブラムの『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』である。この論の漸新さは,戦後の抽象表現主義のマーク・ロスコの色面抽象とフリードリヒのく海辺の僧〉との類似性を指摘することで,精神性を重んじた近代絵画史を組み立てたことであった。しかし,フリードリヒの風景画の内面性Innerlichkeitは,同じドイツの文化的風土から生まれたキーファーの風景画により強く,直接に反映していることを指摘しなければならない。キーファーのくヘルゴラント島のホフマン・フォン・ファラースレーベン〉の大圃面全体に抽かれているのは茫洋とした海原と遠方である。その海原には黄昏の光がかすかに反射し,それはフリードリヒが得意とするロマン主義的な風景を表しているとえるだろう。さらに果てしない遠景と強調された近景(波間に置かれた舟型の銅片と,焼かれた木片のコラージュがその役割を果たしている)の構成も,<海辺の僧〉に見られるフリードリヒ独特のマナリズム的遠近法に支えられている。キーファーのこの作品は,19世紀の詩人フォン・ファラースレーベンが民主主義的統一を顧う詩を書いたために,孤島に流された歴史的な事件を背景にしている。この詩は周知のように後にドイツ国歌となるか,詩の一部の「なにものにもましてドイツ」という下りはナチによってナショナリズムに誤用されてしまう。こうしたさまざまな歴史の思惑がこの風景画に秘められているのである。<海辺の僧〉は僧が瞑想にひたるようにわれわれを神の粧界へと誘うが,<ヘルゴランド島のホフマン・フォン・ファラ-135-
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