⑬ 木村蕪蔑堂とその画業について航戟堂研究のIli篇矢は,大正—-1--•五年の航直堂百二十五年忌に編じられた『遣墨遺品展三世大坂における文人画に関する研究_研究所:大阪市立近代美術館建設準備塞学芸員桃爪節也江戸中期以降,経済の簗栄を背景に,合理主義的で現世的傾向の強い文化・芸術が発展した大坂において,福原五岳,十時梅}星,岡田米山人,半江などか活躍し,現世的傾向とは対照的な脱俗・餡II行を理想とする文人画が繁栄したことは,近世絵画史上の典味深い問題であると思われる。本研究は,近世大坂文人画に関する基礎研究として木村兼段堂(1736■1802)の圃業を再検討するものである。木村流段堂は,名は孔恭,字は世粛,巽斎,遜斎を号し,兼段党はその書斎号で,通称を坪井屋吉右衛門といった。膨大あり,}ー『山北湘の混沌詩杜の詩人としても知られる。圃技では山水蘭竹腐石の小幅をくし,閑雅消稔,法を近世に撫したとされ(『山IーI―_1人饒舌』),池大雅,与謝燕村没後の上方で文人圃の指蒻的立場を担った。桑山玉洲『斎會事祁言』の仕i版にも尽力した。覧会出品図録』と高梨光司編『兼殴堂小伝』であり,昭和十八年『上方』百四十六号に兼殴堂特集号がある。近年では,野Ii-il光辰,水田紀久氏らの『兼殴堂日記』の公刊,瀧川義一,佐藤卓5爾氏の『木村紺殿堂賽料艇』が基礎賽料を網羅している。また,美術史では昭和五十六年の大阪市美術館特別展「近世の大坂画駁」開催とその成果をまとめた『近祉大坂圃軌』の出版により,兼直堂をはじめ江戸時代の大坂絵圃史が概観されたことは圃期的であった。しかし,伝記・文化史研究に比して作品に対する実証的研究は充分ではなく,本研究では,現存する作品や圃集,売立日録,文献賢料等の調査から罪穀堂の基準作と制作年代を再検討しその圃風展開を考察した。作品検証の根拠となる印譜は,『巽斎損因』(東京都立図書館蔵),大田南畝『渕遊従之』(大阪府立中之島図書館蔵)所収印譜などを参照した。これらは籠段堂が没した直後に成立した印譜で,収録された印の種類に若干の異同があるか比較検討の結果,基礎査料としての信恐性を再確認した。以下,検討しえた菰酸堂作品について概述する。兼酸堂は,五・六歳頃から圃事に関心を抱き,大坂で活躍した狩野派系の大岡春トに手ほどきを受け,春卜が編じた画本『明朝紫硯』に触発されて「唐絵」を志した。・書圃・標本を蒐集した博識の物産家で139-
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