鹿島美術研究 年報第9号
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21. 0 x 13. 5cm 慶応義塾図書館蔵④ 寓画堂日録1巻2.文政年間の手記① 辛巳画稿1・IIサ(本文66紙)(6 r111 1隻)1図,衝立1図,襖(1対)3図,四角い図33図となり他にも数図あ② 壬午図稿1 lll} (本文51紙)23.4Xl6.7cm ③ 客坐縮写1 •Illl• (本文40紙)23.0Xl6.7cm ④ 寓目録1冊(本文42紙)文化14年(1817)紙本済色縮図・写生,人物素抽が含まれる。縮図は狩野派,四条派などで中国画の模写は少ない。文化年間の手記は,必らずしも多くはないが,ほは‘この時期の車山の生活と学面について知ることができる。人物素抽の習練と燈画の内職が文政元年の『一掃百態図』となって結実した。いわば,この時期は職業画人としての研さんの時期であったとえよう。文政4年(1821)紙本晟画淡彩第一紙表には「竹石図」「達磨図」の絵控かあり前者には「辛巳元旦試筆華山登」後者には「巳年七日写華山道人」と記されている。扇面圃47図,掛I|liii85図,屏風る。いかに職業圃人として依頼か多かったかが知られる。文政5年(1822)紙本墨画淡彩第一紙裏の花島図の圃控に「壬午元旦試筆全楽堂登」とある。扇面,掛幅の絵控が大半で前年の『辛巳画稿』と内容はほぼ同様である。文政8年(1825)紙本褐圃淡彩山が見た作品の縮図で,兆殿司,池大雅,利休書筒など様々であるが酒井抱一の花烏図が12図もあり目立って多い。これらの縮図と『辛巳圃稿』『壬午図稿]の絵控と共通している。文政9年(1826)紙本墨画淡彩題巖に「寓目録丙戌孟秋第四全楽堂」とある。丙戌は文政9年(1826),孟秋-145-

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