いので制作,使用時期を確定できる),専攻区分ラベル,制作者の印章などについてチェックした。これらの運筆手本は実際に教室で使われていただけに汚損,傷みもひどい。また同一図柄のものが複数枚あることなど錯綜した状態にある。手本類は人物,植物(筆法,骨法,枝,草花及果実,花と器),動物(鳥,獣,魚水族),山水,器物,岩石と大分類されている。そして植物,器物,岩石などでは芥子園画傭から図柄を引用しているものが多い。引用の程度もまったく同一の場合や同一描法で一部変更図柄などがほとんどであった。またこれらの手本画は毛筆に依るもので「雲樵」の印章をもつものが多い。当時の画学校教貝でこの雅号を用いたのは池田雲樵という南画家である。雲樵は在職中の明治19年6月30日に死去している事実からこれらの「雲樵」印手本はこの時点までの制作であることがわかる。「芥子園画他」は元来中国南画系の教則本であった。それが南画の教則本から筆法の一般的な教則本として捉えられていたのではないか(楳嶺)という推論に蓋然性があるように思われる。画学校の手本の多くが芥子園画他に典拠していることは,楳嶺の画学綱領が芥子園画偲に多くを依っていることに対応して当然かもしれないが,芥子園画博がすべてではない。他にも原本と呼ぶべきものがないか調査したところ2種類の原本を発見した。1種目は「人物十八描図式」(東京芸術大学図書館蔵)という狩野派の流れを汲む人物描法の版本で,18揺法のうち多種の同一描法並びに同一図柄を発見した。2種目は楳嶺自身に関わる運筆手本類である。楳嶺の初学者用運筆手本の種目は「楳嶺画鑑」に示されており,その図柄は,「楳嶺遣墨」に掲載された写真で知ることができる。そして画学校の手本類の中にも同一図柄のものが18種類含まれていることを確認した。さらに楳嶺に関する調査の中で,楳嶺私塾で使われていた運筆手本を実見できた。この私塾手本類は楳嶺の没後,私塾から散逸したようで古書籍商を経由してある美術史研究者の手元に入手されていた。実見できたのは次の3冊である。①「屋宇舟車廿員三級生用驚覺北宗運筆模本明治十四年辛巳五月原本幸野楳嶺筆門人駒井龍仙臨写」②「山水諸法廿員四級生用蜜焚北宗臨模々本明治十四年辛巳五月原本幸野楳嶺筆門人鵜飼雅山臨写」③「減筆樹石廿員四級生用鸞覺北宗運筆模本明治十四年辛巳五月原本幸野楳嶺筆門人清水麓松臨写これらの手法を画学校の一群の手本集と比較してみた。比較した画学校の手本集は-150
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