⑰ 南宋院体画の研究例1高士観瀑図(馬遠筆,メトロポリタン美術館蔵)と幽渓聴泉図団扇(伝丁野夫研究者:大和文華館学芸部員藤田伸也南宋時代は,宮廷の作画機構である画院(翰林図画院の略称)画家の活動が極めて活発であった。その後期には沈滞し,創造的な制作活動は禅余画家に譲った感があるが,画院の画がこれほどまでに他を圧倒した時代は,中国絵画史上例がない。しかし,南宋絵画に関する文献資料は乏しく,限られた画史類が文献面での研究の拠り所となるにすぎない。一方,実作品は伝承作品を含めてではあるが相当数残っており,画家毎に作品を整理し個人様式を特定する作業は一定の成果をあげている。けれどもそうした方法だけでは,南宋絵画を理解するのに充分ではなく,より幅広く作品を取り扱う視点が必要とされる。本論では,南宋院体画に見られる同図様作品の検討を通して,南宋絵画全体の特質について考察する。図様か図像として宗教的あるいは思想的意味をもつ道釈画は除外し,鑑賞を目的として制作された,図様が本来自由であるはずの花鳥画や山水画を対象とする。最初に画面全体が近似する例を見る。日本・個人蔵)この二つの山水図は,主題,構図,モチーフそして筆法,彩色法などがほぼ同じで,馬遠様式を示す。メトロポリタン本は,水流を見つめ沈思する高士と幽谷を,落ちついた筆致で上品に描き出している。それに対し,個人本は輪郭線がより明確になり,全体の雰囲気よりも個々のモチーフの形態が優先されている。この筆者が微妙な大気表現にあまり関心のないことは,前者では暗示的に描かれていた上方の水流が露わになり,画面下部左右に湧き出ていた雲霞が省略されていることに端的に示されている。また,点苔も多用されている。このような特徴は模写的作品にしばしば見られ,そして南宋から元への絵画様式の変化にも一致する。以上に述べた理由から,個人本の制作時間はメトロポリタン本に遅れ,南宋末から元時代と考えられる。だが,原本とその模写という関係を直ちにこの二図に当てはめ,作品を整理するのがこの論考の目的ではない。まず,メトロポリタン本は善く描かれた優品ではあるが,馬遠真筆と考えられる日-160
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