本所在の三幅の祖師図や北京の故宮博物院が所蔵する十二水図に比べて,松の幹や枝の描線か柔弱で,全体に重量感に欠けることなどから,真蹟ではなく,馬遠の優れた後継者の作品と推定される。次に,個人本が団扇形であることに注目したい。一般に,団扇画は,その形で制作された場合と,本米は方形であった画面を丸く切り詰めた場合とがある。本図は丸い画面内に景物がうまく納まっており,もともと団扇画として制作されたと考えられる。結論を述べると,団扇画は,メトロポリタン本あるいはその祖本に基づいて,馬遠派の別の画家が再構成した図である。その間には同じ図様の別の図が介在したかも知れない。その再構成の際に,画面の形を方形から団扇形に変更し,既に自分のものとしている馬遠派のモチーフを使って,娯物を増減している。そして,この馬遠派の画家は,忠実な模写を作ることを目的としたのではなく,ネ且本を利用し,自分の圃を制作したにすぎない。画家の興味は,既に,沈思黙考する暗な渓谷の写実的抽写にはなく,水流に象徴される画面上の動感の表出に移っている。そしてメトロポリタン本についても,同様に参考とした図の存在が考えられるのである。このような既成の作品を利用する制作方法は,租度の差はあるか,馬遠派の作品全般に見られ,そこでは種々の同じモチーフが反復され,それらの多様な組み合わせで図が構成されている。国立故宮博物院蔵)実をつけた林檎の枝先に止まる小烏を粕緻に描く,この二図の関係は,先の例とほぼ同じことが言える。烏を枝先に止まらせた小画面の花烏圃は,南宋院体画の特徴が典型的に表れている作品である。前者は繊細な描線と入念な彩色を用いて,比較的余白の多い,生動感に満ちた図を創り出している。一方,台北本は,北京本に比べれば,団扇形であることを勘案しても余白が減少し,輪郭線が強調されて,幾分平板で窮屈な図になっている。明らかに,台北本は北京本に基づいた模写的作品であり,制作時期も下る。ここで興味深いのは,部分的に図様の反転が見られることである。左上の一果をつけた枝が,ほぼそのままの形で左右に反転されている。そして,実の付け根と下方の分岐との間,一枚の葉がついた直線的な枝の部分が省略され,その結果みごとに団扇例2果熟米禽図(林椿筆,北京・故宮博物院蔵)と戟婆山烏図団扇(無款,台北・とその心理を反映する幽-161-
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