鹿島美術研究 年報第9号
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たかが,明らかとなる。アンドレアス・シュトスは一ーそ~して彼のみならず――—攻撃ている。このように,修道院付属教会とはいえ,相当程度,世俗の市民との関わりを有していたことが分かる。それこそが,従来のベネディクト派修道院と異なり都市に建設された托鉢修道会の特徴なのである。したがって,G.ブロイティガムの反論は,托鉢修道会という特質を看過したものであり,カルメル会修道院に関しては妥当性を欠くといえよう。第二の反論によれば,この図像はきわめて伝統的なものであって,特に尖鋭的な反ルター主義とすべきではないという。さらにハウスヘルは,ルターのマリア論の変遷を追跡し,マリア崇拝,聖人崇拝をルターが問題にしたのは,やっと1522年になってからであり,しかもそれ以降ですら『バンベルク祭覧』主場面に表現されたような「降誕」の図像は問題にならなかったと述べる。この点に関しては,ポーランド,クラクフ市,ヤギェウォ大学付属博物館に現存している素描下絵との関連で後に詳述する。ここでは,この「降誕」ですら特別な意図を想定することが可能である,と述べるに留めたい。第三のカルメル会の教義による解釈については,反論の必要が認められない。ケンピンスキー説とこのズッカーレ説が,必ずしも対立するものとは思えないのである。実際,ズッカーレ自身もある箇所では次のように述べている。「今や,アンドレアス・シュトスが,なぜ主祭填のマリア学的プログラムをこれほど明瞭に教会論的に強調しにさらされる教会の権威を,攻撃されざるマリアの背後に隠し,教会をく教会はマリアである〉という同一視によって守ろうと試みたのである。」したがって,ケンピンスキーの主張するような攻撃的ではなく防御的であるとはいえ,反ルター的であることには,ズッカーレも同意しているのである。本研究は,基本的にはニュルンベルクの宗教改革的文脈の中でこの祭壇を捉えようとするものだが,カルメル会の教義を無視することによってではなく,むしろ積極的にこの修道院の存在を重視することによって行おうとするものである。それによって,ケンピンスキーとズッカーレの両者に共通する,個別性の軽視を補足したいと思う。というのは,私見によれば,ケンピンスキーはあまりに一般的な宗教改革的潮流からこの作品を解釈しており,ニュルンベルクの個別的歴史を無視しているように思われるし,またズッカーレはカルメル会の教義に基づいて図像解釈をしている点で,ケンピンスキーを補うものであるが,それでもなお「ニュルンベルクの」カルメル会修道院という個別的状況への配慮が少ないよ-166-

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