鹿島美術研究 年報第9号
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うに考えられるのである。本研究では,特にアンドレアス・シュトスの修道院長就任以後のカルメル会修道院内での宗教状況を考慮に入れ,これらの欠点を補うことで,この作品の意味を探究したい。アントレアス・シュトスは,1520年初頭に,ブダペストのカルメル会修道院長からニュルンベルクの修道院長として転任してきた。彼の就任に際しては,ニュルンベルク市参事会が関与している。市参事会は2月1日に,カルメル会高ドイツ管区長ゲオルク・ムッフェルに「霊的なことども,世俗のことども,両方の点で,修道院をよく束ねていける,勇敢で思慮深き人」として,アンドレアス・シュトスを推胞したのである。就任早々アンドレアスは精力的に修道院の秩序を回復しようとした。というのは就任時の修道院は,前任者ヨーハン・ツァイルマイアの怠慢な経営により,帳縛類はずさん,老朽化した建物はそのまま,というひどい有様だったらしい。彼は,まず新しい托鉢帳(Terminierbuch)と年忌書(Anniversarium)を作らせた。ついで彼か決謡したのは新たな主祭駁の制作計画であった。7月13日に,彼は修道士総会か『バンベルク祭坦』であった。就任後半年に満たない期間に,彼はこのような大胆な刷新計画を実行していったのである。このような経過から見た場合,この主祭坦の制作滋図がある程度明らかになるように思われる。この祭駆は修道院秋序回復計画の一環として企画されたと考えられるのである。ズッカーレのカルメル会教義による図像解釈は,彼自身は触れていないが,このような状況を理解して初めて,一屈意味をもって〈る。つまり,アンドレアスはこの主祭坦の制作により,修道院内でカルメル会の教えを再確認し,修道院を「束ね」ようとしたと推測されるのである。さらに,ウルリヒの研究によってそれ以前の修道院内祭坦のテーマが判明しているか,それもまた『バンベルク祭坦』の滋図と主題決定上の要因を推i則する手掛かりを与えてくれる。ウルリヒによれば,旧来の付属教会堂主祭坦としては,『聖三位一体祭坦』が安置されていた。この教会堂内には,いくつもの祭燈が置かれていたが,その中で『マリア祭坦』はただ一点であった。その翼部の主題は「マリア訪問」と「聖アンナ」だけである。そこから推測すると,この『マリア祭坦』はさほど大規模なものではなかったように思われる。これらのことはカルメル会修道院の教義からすれば,いささか不自然に見える。というのはカルメル会は,正式名称を「カルメル山の聖母(Konvent)において新祭燒の計圃を提案し,ただ一人の反対のみで可決された。それ-167-

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