また十九位曼荼羅自体にも諄容と尊名の不一致が目立ち,請来の図様である可能性が指摘できる。烙摩天と后妃を囲む半珈の四武装神は,姿勢も尊容も近似し,外側の四天王同様に四名一組の神格と考えられるのに対し,雌名は道教の天地神の天曹府君・地府大将軍・烙摩天の変化身の名と思われる毘迦羅神,一般名称の地府善神が当てられ,聰格に統一性が見出せない。また太山府君の右司・左司と重複して五道太神の左右に揺かれる二官吏の名称も,黄泉国王毘迦羅神と百司諸司神であり,不対称である。多数の冥神を整然と配したこの図様に於けるこうした尊名の不統一は,図様の日本での成立を疑わせる。諄名の不統一の原因は図様が請来品であることによるものではないか。請来図像ゆえの名称不詳な尊像に,我国で神格の統一性を考慮せぬまま冥界関連の神名を当てはめていった結果と考えられる。同時に十九位曼荼羅中腺の焔摩天の武装形も,日本での変容ではなく,図様の成立した大陸に由来を求めざるを得ない。武装形の烙摩天の図様は大陸で如何にして成立したのか,烙摩天は仏教以前のインドのバラモン教の冥界主ヤマに由来するもので,当初より王候の姿でこそあれ,武装形ではなかった。両界曼荼羅等の菩薩形の焙摩天をこの原形に忠実なものとして考え得よう。一方,唐装の焙摩天の場合は,烙摩天と中国の冥界神の泰山府君とが習合することに処ってその姿を借り,泰山府君同様の唐装に描かれるようになったことが知られている。これにならえば,烙摩天を武装形にあらわすことの原因も,大陸の他の冥界神との融合に求められるのではないか。大陸には他に武装形の冥界神は存在しないかを検証してゆくと,まず陸信忠系の十王図とその日本に於ける模本の中で十王中の一王のみが武装形に描かれる場合があるのが注目される。(この「甲胄の王」の存在は梶谷論文(註3)に於て指摘されている。)請来本の武装神の場合は総て「第十」の「五道転輪王」であるが,日本に於ける模本(二諄院本・大和文華館本・浄福寺本)では「第七」の「太山王」となっている。「甲胄の王」としては何れがふさわしいのか,この相違を解明する上で,日本に於ける摸本の傍に唐突に添えられている雲上に昇天してゆく女性の図様が注目されよう。大陸の他の十王図ではどうか,敦燈画の地蔵十王図には「甲胄の王」がしばしば含まれ,(ギメ本・大英博物館本等)何れの場合も「甲胄形が五道転輪王と描き分けられている」ことが指摘されている。(註4)また十王思想に基づく偽経『預修十王生七経』の図巻の五道転輪王の断罪場面も,武装形に描かれる。これら大陸の十王図に於ては武装形は総て五道転輪王であり,さらにその傍らより六道が光明の如く分岐して描か-180-
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