れているのである。この五道転輪王の傍らより出る六道の図様は先の陸信忠本にも見出せるので,五道転輪王と不可分の図様であることが判る。このことから,日本に於ける摸本の,甲胄姿に描かれた「太山王」に於て,傍らから雲に乗り昇天する女性があらわされるのは,五道転輪王の傍らより発する六道の痕跡と考えられる。六道のあるこの図様は「五道転輪王」の幅が「太山王」に転用されたもので,この武装形の「太山王」幅の原本は,武装形の「五道転輪王」幅であったことを推定できる。この五道転輪王と呼ばれる武装神はどのような神か。閻麿王を含む冥界の十王の最後に位慨していること,六道と縁の深い様相からは,冥界信仰に於て重要な役割を担っていたことが想像される。しかし美術史上では「五道の冥官の総称」或いは「道教系の経典に名の見える神」とされる如く,その神格が正確に取り上げられることは無かった。この神を考える上で,同じく五道の名を持つ五道神・五道大神・或いは五道将軍と呼ばれた冥界神に注目してみたい。小田義久の「五道大神致」(註5)に拠れば,五道神はインド起源の冥界神であり『普曜経』に「五道の頭」に住み「五道の路を守る神」としての記述が見られる。(この神はバラモン教の神である梵天王の家来であったのが仏に帰依したと書かれることから,仏教より古い時代のインドの五道輪廻を管理する神であった可能性すら考えられよう。)この神はまた6■ 7世紀の高昌に於ても「五道(仏教でいう六道の古い形式で六道より修羅道を除いたもの)を管理する冥界神」という同様の神格で信仰されていたことが随葬衣物券の記述より知られ,さらに六朝時代以後は中国で泰山府君神等と並んで広く信仰されていたこと「仏教の民衆化と云う面では無視できない存在であったこと」が指摘されている。小田論文の述べるこの神こそ武装形の五道転輪王の前身ではなかろうか。等しく界神であることと名称の近似に止まらず,五道神が同じく武神であったことが,『普耀経』の五道神の記述「幣剣執持弓箭」より判る。さらに「五道の頭」に住み「五道路」を守っていたという記述から,五道転輪王の傍らに五道の発展形である六道が描かれることの由来を解明できよう。五道の分岐点を守護するこの冥神の役割が,亡者の断罪という性格を帯びるに従って,亡者をこの場から六道の何れかへ振り分けて転生させるものへと変化したことを想定させよう。従って十王図中の「甲胄の王」,五道転輪王とは,インド起源の仏教経典に見る五道-181-
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