肉身は釈迦と同じく黄色味を帯びており,暗い朱線で輪郭を書き起こすが,剥落がしい。眉や上瞼,耳にかける二条の髪には濃い墨線が引かれているが,朱の剥落度などに比してやはり後補と思われる。面長な面貌は髪際が深いカープを描いており,耳にかける二条の髪の位置も低く,鎌倉の菩薩の特徴が表れている。着衣としては,条吊,裳,腰衣,天衣を着けるが,このうち条吊が丹地で暖色である他は,寒色系の彩色が主調を占める。白緑の裳には白の唐草文様の間に,白のラインと緑の点描とによる円形文が配されている。ところで,ボストン本法相宗曼荼羅や宝山寺本などの弥勒が,左手を胸前に挙げて蓮華を持ち,右手は下に伸ばして掌を外に向けるポーズをとるのに対して,本図の弥勒はいささか図像を異にする。本図のように片手で持物を持ち,もう片方の手をその下端に添えるポーズは,むしろ鎌倉時代の釈迦三諄像の文殊や普賢によく見られるもので,それは宋の仏画に倣ったためと考えられる。また両足先を裳でくるむ着装方法や前立てが後方に伸びていく宝冠の形式も,宋風の仏画の特徴といえよう。これらの点は,弥勒の祖本として宋仏画が存在する可能性を与えている。しかし,宝冠において五仏と宝冠の接続が不明瞭である点や,蓮華の茎を持っているはずの左手の表現が不自然であることなどが,本図の弥勒を同じ図像を示す宋本弥勒像の直模とみなすことを躊躇させる。釈迦に見られる宋風表現と併せて,今後更に検討を加えるべき課題である。④祖師各祖師について叙述する余裕はないので,注意すべき点を指摘する。まず図様に関していえば,世親は左手を胸前に挙げて数珠を下げ,右手の第2,3指でそれをつまむようなポーズに表される。このような印相の世親は倶舎曼荼羅(12C作)の中に見いだされるが,本図の世親は着衣の形式も倶舎曼荼羅と近似する。また,慈恩大師は体の向きが左右逆であるが,薬師寺の慈恩大師像と同じく十指を交差させる図様を示しており,伝統的な図様が踏襲されていることがわかる。一方善珠は他の作例と異なり,目を閉じ定印を結んで赤い着物の上に袈裟をまとい,唐招提寺の鑑真像のごとき姿に表される点が注目される。彩色について簡略に述べると,祖師達の肉身は淡墨線によって輪郭され,画絹の裏から白を塗り,表から薄く何か色をかけているように思われる。子細に観察すると淡墨線の上には所々わずかに朱の痕跡が認められる。この朱は釈迦や弥勒の肉線と同じく明るさに乏しい朱であり,11祖師全員に確認された。しかし朱が描き起こしの線で-186-
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