あったのか,あるいは隈取りの一部が残ったものか,にわかには判定し難い。現在上瞼や口の合せ目などに濃い墨線が引かれているが,肉身の朱の剥落度などから推して,この墨線は後補の可能性があろう。着衣は茶色を呈しているものが多いが,中には顔料が剥落して下書きの抑揚のある墨線が露出している部分もあり,更に慎重な観察が必要である。机師の選択に関しては無著以下撲揚までの8人は,東京芸大の法相祖師図厨子扉絵やボストン美術館の法相八祖像など,鎌倉時代の作といわれる法相机師像の中に描かれており,この8人は鎌倉時代にはあたかもいわば「法相八祖」として確立していたと思われる。特にボストン本法相八机像は,立像ながら本図と同じ印相・持物で描かれており,興味深い。一方日本の祖師の選択は問題を含んでいる。まず他の法相曼荼羅にはあまり描かれることない玄fI方が描かれていること。また,無著以下善珠まではそれぞれ直接的継承であるのに対し,善珠の次には200年も離れた平安中期の僧真興が選ばれている点である。こうした机師の選択に関する問題は,伝米の不明な本図の制作背景を探る上で重要な鍵となるであろう。以上まことに不備な報告となったか,彩色については肉眼による観察だけでは不十分なことを痛感し,今後科学的方法を用いて再度調査を試みたい。なお,この他に高山寺の弥勒替薩像(寺伝)に対する調査も実施した。この作品は,法相宗と並んで鎌倉1日仏教を代表する華厳宗の寺院に伝米した弥勒像であるか,調査結果については日下整理中である。における「真言八祖」のように,-187
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