とを報告するに止める。つぎに,高槻市神峯山寺の聖観音立像(重要文化財)は,同じく金銅仏を木彫仏にしたと思われる像である。これについては,堺市博物館平成3年度秋季特別展「大阪の仏像一飛鳥から平安まで一」の時,同展図録に解説を行ない,借用の後,資料調査を行なった。本像は宝冠を着し,条吊,天衣,二段折り返しの裳を着け,右手を垂下して左手に蓮華を持ち,左に腰を捻って立つ。像高101.7cm。頭頂から足元まで右手首,左肘までを含んで,ヒノキの一材から彫出する。丸顔に個性的だが,あっさりした表情である。量感を抑えた短躯に,簡素で図式的な衣文の服装としている。この像と極めてよく似ている像が,滋賀県栗東町大野神社にある。こちらの方は十一面観音立像であるが,頭上面は後補で,髯部を削っているので,当初は神峯山寺像と同じ聖観音立像であった可能性が高い。硬太りの丸顔,太造りの下半身に両足首を見せる裳,その単純な折り畳みの衣端と二本の平行放物線状の衣文は,奈良時代の島根県鰐淵寺の銅造観音菩薩立像のようなものが祖形として考えられる。神峯山寺は天台宗になる前には奈良時代の山岳仏教修行者開成皇子の開創であったと伝え,大野神杜のある金勝山は,天台宗になる前には奈良仏教の山岳仏教の地であった。いずれも奈良仏教が根本にあり,その頃の金銅仏を手本にして両像は製作されたものと考えられる。最後に,表現の上で異形式の像を取り上げた。これは資料調査と文献調査を行った。近年,堺市太平寺の阿弥陀如来坐像は,眼のない仏として『芸術新潮』(1991年1月号)に掲載され,この種仏像の代表作のように言われている。本像は肉髯と地髪の境が不明瞭で,眼は現在彫り表されていない。肉髯も白奄もない。三道はある。納衣を偏担右肩に着し,両手を腹前にして,定印を結び,右足を前にして結珈践坐する。像高97.3cm。ヒノキの一木造で,彫眼。当初彩色仕上げであったと思われる。頭体幹部を一材製とし,両腎・両手首先で矧付けている。膝前一材を寄せる。背面に大きな内剖りがある。この像の両手先は彫りが本体に対して良くなく,明らかに後世のものである。両胃先も彫りが鈍く,後補である。右上膊の下部も手を加えている。従って,両腎先は後補で,当初の印相は不明である。-190
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