鹿島美術研究 年報第9号
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⑬ 詩画軸の研究研究者:筑波大学大学院芸術学研究科博士課程本研究は,まず室町時代の詩画軸について従来からの見方と異なる新たな焦点から,その展開の様相を追求していくことが一つの目的である。禅宗の思想が詩画軸の展開過程における思想的な背景とされてきたことは周知のことである。しかし,禅宗だけでは解きがたい部分がある。私の問題とするところは詩画軸の世界に内在する儒教的な面を一つの解決の手がかりとすることである。今日までこの点についての論述がなかったわけではないが,どちらかと言えば,詩画軸の背景における儒教的傾向についてはあまり重視されておらず,主に禅宗の思想の下に一括して処理されていると言えよう。そこで詩画軸ではなかろうかと考える。それと共に室町詩画軸を同時期における朝鮮の絵画事情との関連性に基づいて考察していきたい。両国間における人的・絵画的交流が行なわれていたことはすでにある程度知られているが,さらに細かく考察することは室町詩画軸をより浮きはりさせ,多角的な視野の中で把握することにつながると考える。特に李朝時代は国家経営の理念として儒教を前面に押し出していた時代である。そのような政策により絵画を含め文化面においても強い影聾を及ぼすに至っているのである。まず第一に李朝が国家経営の理念として儒教を迎え入れたことが李朝前期における芸術意識の方向付けのための決定的な要因になったことを指摘しなければならない。そしてその経緯は絵画を,形象としての審美的な鑑賞物としてとらえることよりも,為政から民衆の実生活に至るまでの合目的的性格を持つものとして見倣そうとしたのである。次に室町詩画軸においてその制作を促した背景に,当時禅林文人達の現実には果たせない隠逸の夢や詩意等を具現化し鑑賞するといういわば「雅びなる遊び」としての手段とする傾向があったことが知られる。しかし例えば明応2年(1493)「三教図」(京都,両足院蔵)の賛文中に見られるような傾向は上述したものとは趣を異にするものであることを指摘する必要がある。す1. 日・朝間における絵画観の一端禅宗という図式を見なおす必要があるの李元悪192

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