鹿島美術研究 年報第9号
216/428

<詩画軸の世界は暮を閉じることになる。周文様式には周辺および後の画人をして,各々の自已流というべきものを探究させる上での契機を与える存在としての一面があった。言いかえれば,すでに示された定型の枠組みのなかで,いかにしてそれぞれの訴えるべき芸術家としての名を個々に明確にすべきかという意味を持っていたということである。後の画人は地位の向上や芸術家としての目ざめの中で与えられた場においてあらゆる手を尽し,それぞれの名を絵画史上に留めておくべき課題に直面していたのである。周文様式を代表する作例の一つとして「竹斎読書図」があげられよう。まず詩文・序において特記すべきことは竺雲等連の序文に見える,他の賛者との趣の異なる点である。その全体の文脈は隠逸的な面と儒教的な「仕」の面が入り交っている。この序文はすでにできあがった軸の批評を兼ねたものであり,そこにはやや厳しいものがある。賛を書いた五山詩僧の代表格というべき四人への批評であると同時に,また当時の僧侶全体へのそれであろうかと考えられる。本図ははじめただ一幅の画軸としてあったものに,次々に賛が加えられることによって成り立っている。図様に関し,画図か拙かれる際に,予めあるべき賛という主題設定はなかったものといえよう。特定の設定がなかった分だけ,画面構成において以前にない広々とした空間の役割が生きたものとして加わったとも言えるだろう。後に賛者達はこの図を読みくだし,書斎図という従来の枠にはめ込むことにより,前代とは逆の立場から本図の性格を与えたと言えよう。賛と図との組合せから純山水図へ移行する中で,本図はその間をつなぐものとして成り立った作品であると考えられる。周文画と朝鮮画との関連性は従来から問われてきた問題である。本図における構図の立て方において朝鮮様式と著しく近似すると言った点を考慮すると,室町詩画軸が宋元画からの影籾だけで処理できないことは明らかであると考えられる。詩画軸の成立が日本独自の現象であるという従来の見解から,こうした形式は他の国々にも確認できるとする立場が定着してきている。詩画軸といっても,その曖昧さに関連し,島田修二郎氏は,題詩等が画図の主題と密接な関連があって画図の理解のためにその詩文の解釈が欠かせないとか題跛の加わることが予期されるというような条件をおくことが必要であろうと指摘している。4.室町詩画軸に関連する朝鮮画-194-

元のページ  ../index.html#216

このブックを見る