中景やや右寄りには,陽がll,1たりl'・l'[の生えた岡の斜而にくすんだピンク色の服を滸た禿頭白髭の老人が座し,両手にひとつずつどくろを1寺って物思いに沈んでいる。その後ろの丘には一頭の鹿が座リ,さらにその後には樹が茂リ,距離に比して不自然に大きな建物が見えている。『三ilt代の寓滋』と『聖愛と俗愛』はその表現においていくつか顕著な類似点を持っている。横長の圃面で,中央で左右に分割できる構図をとっていること。前景に赤と白の衣装を付けた人物群を配し,背贔にはジョルジョーネ風のIIII贔l風景が袖かれていること。これは『ノリ・メ・タンゲレ』にもみられる特徴である。『三肌代の寓滋』の恋人たちと『聖愛と俗愛』の二人の女性の[廿lにあるように,ともに着衣と裸体との対比を強調していること。これも,『ノリ・メ・タンゲレ』や『Ill園の奏楽』にもみられる重要なモティーフである。11[hl々のモティーフでは,羽のある幼児(キューピッド?),二一世代の寓滋』の少女と『聖愛と俗愛』の着衣の女性の付けるミルテの花冠,背景遠くにいる羊飼いと羊の群れなどである。また,構図,人物配置のうえでは同じ頃制作されたとみられるエディンバラの母子と洗礼者ヨハネど寄進者]と顕著な類似がみられる。前景左に横向きにすわる洗礼者ヨハネは『三Ill:代の寓紅』の粋者とよく似ており,右側の寄進者の姿勢と配置は少女に似ている。風鼠等の表現とあいまって,この作品は『三Ilt代の寓滋』の左半分の基本的な構図の中央に聖討:fを抑入したものと考えられる。また,この作品にも『ニ憔代の寓意』にみられた枯れた樹と緑の樹の対照がみられるが,これはここで考察する他の作品にもみられる晶本モティーフのひとつである。個々の人物表現に即していえば,左の着者は『キリストの洗礼』の洗礼者ヨハネにも似ており,その横I(i]きでやや首を傾げた惜緒にとんだ表情は『田園の奏楽』のリュートをひく若者や,『ノリ・メ・タンゲレ』のキリスト,フィレンツェの『復活のキリスト』等にもみられる,ジョルジョニズモの不安定な情緒を受け継いだ典型的な表現である。また,ミルテの冠をつけた少女は,[ノリ・メ・タンゲレ』のマグダラのマリアと衣装,姿勢,表情すべてにおいて似ており,1ii]1浪の紅味を打lっていたと思わ札るが,赤と白の衣装,花のアクセサリられるモティーフであり,やはり寓肱的な1生格を担った女性像の典叩的な表現であったと思われる。また,彼女の見つめる視線による強い感梢の交流の表現は,個々の人閲旦受と俗愛』の女性たちや『フローラ』にもみ-202
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