物同士の関係が不明確なジョルジョニズモの他の作品とティツィアーノの作品を明確に分かつ要素と考えられるか,これはパドヴァの『聖アントニオの奇蹟』のフレスコにおいてすでにみられるもので,おそらくはジョットのフレスコから学んだものと推測される(「キリストの捕縛」や「復活」の場面)。このように,『三世代の寓怠』の表現上の諸特徴は宗教画も含めた初期のティツィアノの作品に広くみることができるものであり,ここから,このころのティツィアーノか,表現のある一定の型をくり返しつつ,それを洗練させようとしていたこと,い換えれば彼の特有の表現語始の形成期にあったということができるであろう。『三世代の寓滋]の図像学的な研究には,パノフスキー,A・ジェンティーリのティツィアーノの図像解釈全般に関する著書中に扱われている他に,J・ダンダスによる論文があるか,本研究ではこれらに陥づきつつ,さらにさきにあげた表現のうえで類似している同時期の他の諸作品とのIll]に共辿する紅味を見いだそうとした。これらの作品を解釈するうえで重要と思われるモティーフに枯れた樹と緑の樹の併置による対照表現がある。これはキリスト教の基本的な泉徴表現で,死と再生,復活を表すといわれるか,これに対応して,地而を叶1央で分書llし,片方を緑の訊地,片方を地肌を見せた荒地として描く表現か,『三1lt代の社以菜』,『ノリ・メ・タンゲレ』,さらには「聖愛と俗愛』でも裸婦より右側の地面を荒地としてオ蘭いていることが観察される。『ノリ・メ・タンゲレ』が復活を主題としているのは当然であり,『聖愛と俗愛』もまた二人の女性による「愛」のモティーフと生命の泉の主題の組合わせとして理解されるだろう。同様にして,『三世代の寓謡』もまたダンダスのいうように「メメント・モリ」の主題と生命の復活の主題の組合わせとして解釈さ札るのである。また,エディンバラの『聖母子と洗礼者ヨハネと寄進者』では,中央で聖母・が賃f進者に幼児キリストを差し出す背後に枯れた樹と緑の樹がおか机,キリストの恩寵による生命の復活を示していると思われる。このようにイ1lil々に取り上げた作品は,その基本的な謡味の屈において「再生」というティツィアーノかこれらの作品を制作した1510年から1515年という時期はヴェネチアにとってカンブレ同盟戦争による厳しい打撃,ジョルジョーネを死に至らしめたペストの流行等の災厄からの復興がつよく顧われていた時期であった。D・ハワードらは2 図像学的な紅味3 杜会的背蚊を共有していると考えられるのである。-203
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