鹿島美術研究 年報第9号
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この文脈でジョルジョーネの『嵐』やティツィアーノの『聖母被昇天』,セバスティアーノ・デル・ピオンボの『アドニスの死』を解釈しているが,『三世代の寓意』をはじめとする上にあげた諸作品もまた,この復活への顧望を背景とし,それを表現することを意図して制作されたものと考えることができる。さらに,このころから隆盛をみる古代のニンフの姿をとった美人像(いわゆる「フローラ」)や裸体のヴィーナス像の流行もまた,春あるいは豊穣の女神としての神話的象徴として解釈できるであろう。また『聖愛と俗愛』はヴェネツィアの十人委員会の書記であったニッコロ・アウレリオと,パドヴァの賞族の娘,ラウラ・バガロットの1514年の結婚の際に注文された結婚記念画だが,花嫁ラウラ・バガロットは未亡人であり,その父,ベルトウッチォ・バガロットは1509年,アニャデッロの戦いで奪われたパドヴァをヴェネツィア軍が奪還した際に,とらえられ,絞首刑に処せられていた反逆者であった。ヴェネツィアを危機に陥れた戦争はまだ完全に終結してはおらず,人々が調和と共和国の復活を希求している時期におけるパドヴァー戦争のもっとも危機的な時期にかかわっている一の反逆者の娘と国家的エリートとの結婚は,彼らの神話的想像力において調和と復活をもたらす「愛」の象徴的な儀式としてうけとめられたのではないだろうか。中央の泉の浮き彫りではアウレリオの紋章を背後に持つ男が別の男を打っているが,この場面が戦争と処刑を暗示しつつ,泉(バガロットの紋章を持つ水盤がおかれている)では裸体のヴィーナス(ヴェネツィアの人格化とも考えられる)が花嫁姿の女性を見つめている。この作品は反逆者の娘として「罪」を担わされた花嫁が,父の犠牲と結婚の「愛」によって浄められ,調和と復活をもたらす春の女神となるという復活の神話劇として解釈できると思われるのである。-204-

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