⑯ ティーノ•ディ•カマイーノ作皇帝ハインリッヒ七世の墓のルネッサンス美術への影響1315年,ピサ大聖堂内にティーノ・ディ・カマイーノにより作られた皇帝ハインリ型l.サ子に紹介されている。三屈のいずれにも皇帝の肖像が出現し,極だったモニュメ研究者:群馬大学教育学部美術教育講座助教授ッヒ七世の硲は十五世紀の称賛で「世界の驚異」とされたにも拘らず,1494年,縮少,移築され,ヴァザーリによりうちたてられたフィレンツェ中心的ルネッサンス美術史の記述法のI―-lーlで,以後その歴史的重要性は固く沈黙されて米た。それ故帝墓のもつ本米の芸術的,杜会的価値,特に建立以米発揮した影評力に関する考察は,私か1982,3年の帝硲再建案提/廿時に開始した試みを待つ迄なされ得なかったのである。今このイタリア・モニュメント史の頂点的作品に対する抜本的,総合的理解を図り,殊に近現代の出発、[灯たるルネッサンスの造形世界の中でその墓から発した重要パターン,理念の麟透して行く様につき,より実証的に検討して行くことは美術史の今日的課題として大なる謡義をもつものと思われ,御理解を]頁いた胤島美術財団に心から御礼を申し上げたい。ではここで,新発見の立像破片を消入して1983年最終的に組立てた硲の再建案(図1)の特質を明解化することから始めたい。一対の見事な螺旋円柱に支えられたアーチを伴なう一階}付は墜面硲碑と祭恥,窓を抱き,又やはリアーチで冠された二階屈で皇帝座像を1-lflむ廷臣像がシンメトリックに立つ。第三屈では皇帝の魂が天使達によりンタリティーを示している。主.人公に対するギベリン世界の新守護神たる信仰確立を反映し,絵圃性,彫刻性.,建築性,装飾性の総力をあげて推進された大前衛芸術とえる。カプアに於けるフリードリッヒニ世のローマ門,或いはゴシック教会のファッサードから発する彫刻の多/砂化と認められるか`,中慨かくも壮大に俗人の肖像彫刻が教会内にまとめあげられるのは前例を見ず,聖俗拮抗せるものの中繰り広げられるルネッサンス芸術の特質を正しく先取しているのである。このモニュメントに於けるかかる性格の最たる部分として,壁面墓碑の下の聖バルトロメオの祭坦がある。そこは市の借主,{庸兵隊長ウグッチョーネ・デッラ・ファジョーラ父子のヴォリューム感満ちる肖像,古典古代彫像の特質たる,背面も殷かに示し,ルネッサンス彫刻の先がけたる丸彫立像が中央の型バルトロメオ像を挟んで父なる神,子キリストを示し,又背後の聞閉式窓からさし込む光をもって聖箪を暗示し,聖三位一体の祭坦として機能を圃名保紀205-
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