の形体,理念が存在することをうかがわせるのである。それ故ピサの硲一階屈のかなり自由な再現として見ることの出米るマサッチョ作聖三位一体図をもってして,やがてフィレンツェルネッサンスはモニュメンタルなスケールのもと科学的遠近法のプロパガンダ的作品としたのである。さてフィレンツェ洗礼堂東扉,ギベルティ作の通称「天国の扉」についてもここで分析を試みたい。旧約を表わす各場面は人類史の象徴としてなされ,最後のソロモンとシバの女王の会見の場はフィオーレのヨアキムによれば第三,聖霊の段階では異なる立場の者同志が相融合して平和が訪れるとしたことを表わしている。それ故黄金時代の象徴としてモニュメント全体はあり,事実農かに全面鍍金されている。中央近くにギベルティ父子の肖像が見られるが,帝墓の付属祭坦で父なる神,子キリストを暗示せる傭兵隊長父子像が君臨したことを反映しており,又扉を開くことによって到来する聖霊を意図したヨアキム的理念による図像選択と言える。各場面は農かな遠近法の妙からなり,ピサの窓越しの風景の連想によっている。扉の周りの枠は又帝墓一階層の螺旋円柱に見られた植物やリボンのねじれを反映する。東側扉に黄金時代の象徴を見たてたこと自体にピサのモニュメント同様東方ジパングヘの憧れが認められよう。ところでカール五世は「プルス・ウルトラ」つまり「ヘラクレスの柱を越えて」の標語のもと十六世紀スペインの新世界への拡張を促すが,帝墓の西側円柱の図像にヘラクレスか登場し,正しく二本の柱は「ヘラクレスの柱」と目され得たのであり,又東窓からジパングが連想された訳でピサのモニュメントは当時の地理学的知識に於ける世界の象徴としても把えられたと考える。十五世紀の教養人,数学者兼地理学者のトスカネッリはその点を鋭く察し,世界全体の形,とりわけ東方への道筋につき関心を高め得たものと思われる。又フィレンツェ人の彼は日頃より洗礼堂東扉を前にしてもジパングヘの思いを抱いた筈である。そしてピサの祭恥の窓からはジパングを東に求めたものの,フィレンツェの広場では実は黄金国の象徴を西に見ている自分に思い当り,やがてコロンプスによるアジアを求めての西方航路敢行を促す地図を作製,書筒でコロンブスを勇気づけたものと考えられる。コロンブス自身ヨアキム主義的なものからユートビアとしての東方世界到来を望む訳であるが,結果としての新祉界発見という人類史の一大事業を準備した一つの出発点として正しくヨアキム的理念発揚の象徴的モニュメント,のである。ヽインリッヒ七世の墓が機能した可能性を見てとりたく思う-208
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