鹿島美術研究 年報第9号
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1989年に革命200年を記念してオープンしたガラスのピラミッドである。次にパリ8区は18i仕紀末に当時のこの地方の領主リンデナウ伯が建設したもので,イギリス式庭図分かる。多くは一時的なイベントのモニュマンであったり,机上のプランに終ったリしたが,I―:j1には不完全な形ではあっても実現され,現存しているものもあるらしいと知り,今回の旅にヨーロッパのピラミッドを見るという予定を組み入れた。まずヨーロッパのピラミッドとして最初に見たのは,ルーブル美術館入「lとして,のモンソ現した公園としてイタリア人圃家カルモンテルの設計で完成している)にあった小刈リのピラミッドを見た。さらに1803年以降,フリーメーソンであった建築家プロンニャールかパリ市の依頼をうけて設計したペール・ラシェーズ硲地を訪れた。ここには設計図では中心に巨大なピラミッド形の共同納骨罪:か置かれるはずであったが実現にらず,代りにピラミッドを途Iドで切断したような,堕而を背にした台形のエジプ1、神殿風の納1オ堂か作られている。しかし,11li1人の硲にはかなり巨大なピラミッドやオベリスクかあった。」ツー:記三か所はいずれも日常的に観光客か立ち寄る)所である。このあと,たまたま入手した,フランス革命時代の理想主義的建築家を扱った本に,非常に興味深い図版を発見した。それはパリ市が1871年のパリ・コミューンで焼失したチュイルリー'白のあとに,革命100年を記念するモニュマンを公経し,多くの建築家か応経した中の一、'.',1:で,E.ルルーという辻策家の手になるものである。それには,現在のガラスのピラミッドよリかなりチュイルリー公図寄りであるか,やはり巨大なピラミッド形の廟絡が描かれていたのである。この案は実現されなかったか,革命200年後にガラスのピラミッドとして生まれ変わり,革命の理念の象徴が何も気付かない観光客をその内部に飲み込んでいる。革命200年記念としてバスティーユ跡地に建設された新オペラ座も円形とiE方形を組み合わせてあった。シャルル・ドゴール空港も完全なド]形である。機能的にみても建築コストからみても純粋な円形はかならずしも合理的とはえられないので,パリの新建築の純粋幾何学形態好みには,フランス革命とフリーメーソンの象徴かひそかに継承されているのではないか,と思わずには居られない。次にピラミッドを見たのはドイツである。旧東ドイツ側のドレスデンとライプツィッヒの中間位のところに,普通の地図にはのっていないマッヘルンという小村かあるが,ピラミッドはこの村の中心にある広大な庭図の中にある。このマッヘルンの庭園(1879年にシャルトル候爵の依頼により,フリーメーソンの思想を-213

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