l.ッドするピラミソドとしヽう形には,物質から帖神へ,地lヽ:より天士.へという普遍的な理の創作だったのかがずっと気にかかっていた。それまで見て来た人の報告にはその点に関して注紅がはらわれていなかったからである。しかし,実際に行って観察したところでは改造のあとは認められす,はじめから共リシア神殿風の入口を一面に持ち,内部はかなリ広い宮惚犬井の部屋として設計さ}いたものに思われた。おそらくフリメーソンの艇会所として設計され,I叫外か訪れた頃には廟硲にかわっていたものであろう。やはり,ピラミッドの頂、[,間での秘密の手紙の北品というイメージは,閏外か騎士の塔に登って四方を見はらした経験とピラミッドの清潔な象徴的形態とを結合させて生み出した,創造だったのである。1嶋外か行ったときには城館の入口に石獅子(多分スフィンクス)かあったと記しており,i記録によればピラミッドの入口にも一対のスフィンクスがあったはずであるか今はいずれもない。しかし,ひっそりとこのような廿l舎に18・llt紀フリーメーソンの追1翡が残っていることは興味深いことである。車の出る駅〈ピラミッド〉に行った。動き出した車窓からビルに遮られつつも,大理伍を似った真っ白いピラミ、ノトか見えた。18|Il:紀イタリアの銅版圃家ピラネージが「ローマjヽ、比観図」にくり込しとりあげたB.C.l Ill:紀後‘ドのローマの高官ケスティウスのピラミッドである。私はこの旅で,ヨーロッパで一番祈しいパリのガラスのピラミッドを最初に見,ヨーロソパ大陸最古のピラミ、/ドを最後に見たのだった。大地という,物質的次Jじを泉徴する11-:)j形から立ち1-―った[几lつの三角形か一、し足に集想か託されているか故に,その泉徴性はエジプ)、,ローマからフリーメーソンやフランス革命を経てダリの絵の中にまで,国・時代を超えてー1-lこきていると実感される旅であった。大部分の残されたテーマは今後の課題としたい。9月19日にローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ睾浩から'帰国するため空港行きの電215
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