1)く祈りの空聞〉ということアミアン:ノートルダム大聖堂ボーヴェ:サン・ビエール大聖堂ルアン:ノートルダム大聖堂ル・モン・サン・ミッシェル:旧大修道院サン・ドニ:大修道院聖堂パリ:ノートルダム大聖堂,サント・シャペルこれらの諸聖党の外観・内部空間・彫刻・壁画・ステンドグラスなどを研究者四名で詳細に観察したあと,現地および当夜のホテルで議論をくり返し,キリスト教の空11:l]とは何か,を論じ合った。その間,マリア・ラーハとパリのノートルダムではミサに参列して,聖なる空間の実体験の機会も得た。帰国後さらに二度の会合をもった。とりわけ8月28日の議論は詳細に記録した。それは別紙「キリスト教の信仰と神学と教会堂」にまとめられている。しかしなから背屎とする学問の相違もあって,必ずしも討論かうまくかみ合っていないきらいは免れない。本調査を通しての臨場的議論は前川のこれまでのキリスト教建築空間論について多くのIiil題を提起することになった。とリわけ,中世哲学専攻の稲垣教授も美術史の平[11教授も敬虔なカトリック者であり,両者の哲学的・神学的陥盤からの教会堂観とカトリック信者としての立場からの祈りの空間の理解は非カトリックである前川の建築論的空間解釈とはかなり相違していることが明白になり,前川の教会党解釈に質重な示唆を与えるものであった。以下に問題点のい〈つかを列記して今後の課姐としたい。キリスト教の教会堂や礼拝堂はなによりも祈りの空間である。フランス古典ゴシックの諸聖堂,とりわけシャルトル大聖堂が祈りの場所としてとりわけふさわしいことには何者も異議はなかろう。それでは近一現代建築の三大巨匠の一人とされるル・コルビュジエの建築的傑作,ロンシャンのノートルダム・デュ・オー礼拝堂についてはいかがであろうか。無数の建築学徒か`この礼拝堂を讃えて建築巡礼する。カトリックではなくプロテスタントである前川も,伝統的な教会堂形式を否定して新しい祈りの場所を生み出したこの礼拝堂を,神の世界を求めるのにすばらしい光の空間のこのうえなくみごとな造形であると評価してきた(前川著『ゴシックということ』学芸出版217
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