⑩ アーサー・ウェズリー・ダウについての研究研究者:横浜美術館学芸係長天野太郎アーサー・ウェズリー・ダウについてこの研究の発端は,第2次大戦後一つまり1945年以降ーのアメリカの画家たちの自叙伝や伝記あるいはモノグラフの中で,彼ら彼女らが,美術の教育を愛けていた時期ーそれはすなわちおおざっぱに言えば抽象表現主義以前ということになるのだが一に多大な影靱を受けた人物としてアーサー・ウェズリー・ダウ(以下ダウ)という名を見いだすことに始まった。ちなみに,幾つかの資料の中から,ダウについての記述を拾ってみると,1959年にニューヨーク美術館で行われたマックス・ウェーバーの個展のカタログのエッセイの中では,こう述べられている。「マックス・ウェバーに多大な影聾を与えたのがアーサー・ウェズリー・ダウであった。彼は,その若き学生であるウェーバーに徐々に浸透していった同時代のフランス美術の傾向にも東洋美術にも精通していた。」またジョージア・オキーフの伝記の中では,「ビメント(コロンビア教育大学で芸術を教える助教授)は,コロンビア教育大学芸術学部長のアーサー・ウェズリー・ダウのもとで教えていたが,ダウの教授法は中身か真に革新的であることで有名だった。多くの美術学校で行われていた教え方とは異なり,自然や,さまざまな巨匠たちの絵画様式を模写させるということはほとんどなかった。彼は,画家でない者やまった<絵を描けない者でさえ,デザインの基礎を身に付けることの出米る練習法を編み出していた。(中略)ところかそれは思いもかけずジョージアには,芸術に対するある明快,かつ理論的な裏付けをあたえたのである。ダウの二冊の教科書『構図』と『美術教育における理論と実践』を読んだジョージアは,絵画の根底にある美学という問題ーそれはとどのつまり抽象原理ということであった一を夢中になって考え始めた。ダウの考え方は,ジョージアが無意味と感じていたリアリズムの領域を,一歩推し進めたものであった。そしてそれはまた,非常に明快であった。ダウの考え方はきわめて単純なものであったけれど,ジョージアが後に語っているように,美についてのあらゆる決定を下すのに役立つものであった。彼の教授法の真髄は,文字をいろいろ組み合わせたり,もう一度並べ変えたりして,おのおのが独特の個性をつくり出すことのできる,いわばアルファベットのようなものであった。」1,2例を上げたにすぎないが,226-
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