のだか,頭・体部の均衡感は一種型にはまった安定感を伴うものになっており,小じまりにまとまる傾向がより強く感じられる。むしろ彼の個性はは肉どりを削いだ両膝間の衣文表現にみるべきものがあり,左右相称風に円弧を重ねる衣文は律動感を伴う意匠美へと向かっているように思われる。以上のように善円の作風展開を整理して考えると,昨年(平成3年11月)筆者か報した良福寺文殊菩薩騎獅像は善円に近い作風をもつものとして注目すべき問題を投げかけている(『仏教芸術』199号)。本像は一尺三寸足らずの小像であるか,木寄せが細かく,施し,入念に仕上げている。頭体部の均斉かとれ,目鼻立ちは端正で,品格の高い造形性を示しており,まとまりのよさと落ち着きのある趣から13・世紀前半の制作と椎定される。温和なまなざしは慶派仏師のそれとは本賀的に異なる感党であり,今日知り得る追品ではむしろ息予円の作風に近いのである。眉が切れ長に索直に流れ,鼻筋が通り,頬が丸く,ふっくらと肉付けされ,「l元や顎のモデリングか引き締まる造形感党は善円のそれと感党的に共辿するところか多い。しかし,瞼の線が日尻に向かってゆるやかに流れる目の表情は,既述した善円の作風展開の中では把えにくい感党であり,善円とは逸う慈しみ深い,うるおいのあるまなざしを観る者に投げかけている。一方,両足部に絡く,流暢に表された衣文表現は善円29歳の釈迦如米像の絵圃的な扱いに非常に近いところがあるか,本像ではそれはどに執拗でないことも留滋される。彫刻としての伸びやかさという点では,善円44歳以降の作1W1には求められないものであり,また20歳代の像と比べても本像の絨感の把え方の方が緊密さという、点では優れているように思われる。しかし,このような違いは慶派の作例との比較に比べれば,徴妙な違いであって,あえて別様式に属するというべき差異ではないであろう。確証があるわけではないが,ぅ府円と同じような査質をもつ作家の存在,いうならば善円周辺,もしくは善円前派の仏師を仮に想定してみたらどうであろう。なお本像か騎釆する獅子像の胎内から671枚の印仏が発見されている。印仏は五讐の文殊替薩坐像が刷られており,蓮華座に坐し,その下方に「帰命三宝海覚母妙吉祥堅求大菩提広度貧賤類」の願文かあり,この印仏か貧窮孤独の人々を救済することを説いた『文殊師利般涅槃経]に依拠するものであることがわかる。裏面には一紙一名毎に結縁者の名前が記され,僧侶と思われる者,阿弥陀仏の法号を有する者,「……妙」と名付けられる者(文殊替薩の法号の寇か),寅,犬,吉野,勝石等の俗名を名の切金文様を精緻に-235
元のページ ../index.html#257