像(53歳),同年正福寺(兵庫県)薬師如来坐像と比較すると,頬を長めにつくり,目尻の切れを長く,なめらなか肌の感触を表す造形感覚がともに共通する善慶の個性的表現であると思う。れを思わす手足の指先の表現などは薬師寺地蔵菩薩像にみる善円44歳の個性に一脈通じるものがあるのは特記される。善円と善慶の生年か一致することかわかったのは薬師寺地蔵菩薩像の納入顧文によってであったか,本像と薬師寺像との詳細な比較によれば,善慶と善円が同一人であることを証するような根拠が提出できるように思われるのである。これは要するに,作家の個人様式の変遷の幅をどこまで広げて考えることができるか,という問題に集約すべき問題であるのだか,本像の場合,清らかで,品のある容貌は薬師寺地蔵替薩像(善円44歳)の系譜に素直に連らなるように感じられる。しかし,本像の直立した姿態の生硬な趣,単調な肉どり,切金文様のやや粗荒な趣致は,「修補」の銘記とあわせ考え,なんらかの事情を考慮しなければならず,問題を今後に残している。なお善円の作風に近い作例として,奈良市(嗚川町)の安養寺阿弥陀如米像が注目される。本像は頭部と手,足のみが鎌倉中期の作とみられ,吊り上かった目の表現に善円29歳の東大寺指図常釈迦如米像を思わせるところかある。納入品に善慶房の名がある宇陀郡枠原町(山辺三)の西方寺薬師如米立像は構造・表現ともに善慶の作品とはなんらの関連を見出すことかできないもので,従米いわれるような善慶との結びつきを考える必要はないであろう。桜井市笠区地蔵替薩像,和歌山県橋本市地蔵寺地蔵替薩像も善円及びその周辺の仏師を考えるのに注目すべき仏像であり,鎌倉中期に活躍した善円の造像活動はさらに実証的な方法で研究を進めていく問題が残っている。本稿はその中聞報告であることを付記して,掴筆することにしたい。,刀の鋭い切れ味や右袖衣文のねばりある彫り口,窟児のそ-237-
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