⑬ パルテノン時代の葬礼美術研究者:跡見学園女子大学教授福部信敏古代ギリシア,アッティカ地方の葬礼美術はパルテノン時代(前448-433年)に新たな展開をみせる。所謂「アルカイックのアッティカの墓碑」やクーロス型墓主像が奢修禁止令(?)によって前500年頃姿を消して以来,アッティカ地方は,約2世代の間その種の作例を残していない。再開時のアッティカの美術はパルテノンの彫刻群によって代表される。その中でも同じ浮彫という表現手段をとるパルテノン・フリーズは再開時の墓碑浮彫と密按な関係を有していたことは周知の事実である。白地レキュトスをも含めた前5世紀後半のアッティカの葬礼美術を以下のような視点で捉え直してみたいというのが筆者の調査研究の目的である。筆者の関心はパルテノン・フリーズ,墓碑浮彫,そして白地レキュトスにおいて,それぞれ三者三様の表現形式をとって表わされる造形美術上の「時間」というテーマである。三者三様の時間の表現形式とはいかようなものであるのか,また前5世紀のギリシアにそうした現象を生む基本的な,共通のものの見方が存在したのかどうか。筆者は既に前5世紀中葉の大壁画画家ポリュグノートスがデルフォイのレスケーに描いた二大壁画<ネキュイア図>および<イリウペルシス図>の研究によって,パルテノン時代の時間の表現形式の準備がそこでなされていたことを指摘したことがある。※1今回申請した課題はそれに続くものである。まず最初の段階として,パルテノン・フリーズ・墓碑浮彫,それに白地レキュトス,それぞれを個別的に見ることが要請される。取り敢えず平成3年度の報告として『ギリシアの墓碑における「死者と犬」と題した拙稿を公表させていただいた。※2全くの中間報告に過ぎないが,詳しい内容はそちらに譲ることにして,ここにはその要旨だけを記すことにする。パルテノン時代から前310年代に再度奢修禁止令によって消滅するまで,百数十年間連綿として作り続けられた所謂「古典期アッティカの墓碑浮彫」を,時間という問題意識で大別すると,三つのグループに分類できるのではないかと考える。この期の硲碑の図像表現に関して最大の特徴となるものに,死者(故人)と生者(遺族)の共存が挙げられると思うが,両者の関係に微妙に異なった時間の概念が入り込んでいる。第一のカテゴリーは,死者がかつて生者の間にあったそのままの情景,いわば写真テナイ国立考古美術館2894>をめぐって-238-
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