鹿島美術研究 年報第9号
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みならず,その体裁までそっくり再製するものを「裂製」と称することとし,その体裁は必ずしも原本の1虚に再製しない程度のものは,「複製」と言って区別することになった。』とされている。複製製作技法の特性と発達美術品の複製製作かさかんに行なわれるようになるのは,1900年前後,明治時代中期からである。それは西洋でも同時期であった。つまり写真の印刷か技術的に可能になってからのことである。1.木版木版印刷による古典の複製製作は江戸時代からさかんに行なわれており,文字は版で刷るものと木製活字で刷るものとがあった。挿絵などは木版で刷り,多色刷りのものもあった。木版による図版複製は一般にも広く普及していた。浮世絵や錦絵を見ると,原本の持つ質感,肌理などの表現を再・現するには木版特有の持ち味では限界もあるように思われる。しかしそれを解決しなから困難;な表現を実現しようとした木版印刷の技術水準の高さには驚かされる。色刷りの図版を作るには,この木版が一番確実で大量に作成できる方法であった。また,木版による複製印測は,当時の他の印刷方法に較べ,大きさの制約も少ない。さらに,製版,摺版技術は浮世絵版圃や錦絵の伝統技術が十二分に活用され,きわめて高度な技術水準を実現していた。明治5年(1872),支音IS省は川上冬崖の訳出した「西圃指南」(図圃教科書の始め)を木版刷りで作った。明治22年に創刊された美術雑誌「国蔀・」ではコロタイプ刷りの写真図版とともに,明治38年,光村利藻はセントルイス万博出品のため,仁和寺の孔雀明王像画像の原寸複製印刷を,木版による1380度刷りで試み,成功している。このような,木版による原寸複製印刷の例はまだ他にあるのではないだろうか。天明3年(1783),司馬江漢が銅版圃(エッチング)に初めて成功したとされる。銅版印刷は明治政府の紙幣,証書,切手などの製作に使われた。明治8年,大蔵省紙幣寮はイタリア人画家・銅版圃家キヨソーネを招聘し,印刷技術の指樽・改良を依頼した。(キヨソーネは日本に永住し,わが国の印刷,美術に大い毎号2図の木版多色刷り図版を載せている。2)銅版を与えた。)銅版-241

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