明治2年(1869)に創立された銅版印刷の玄々堂•松田緑山は,その翌年,銅版「横の製版は針や彫刻刀などで細かく彫刻して描く。画面は精細な表現となり,高度な技術と表現力を要した。浜細見の図」を刊行した。明治12年,キヨソーネは大久保利通の肖像画を銅版画で印刷した。わが国初のメゾチント凹版印刷である。明治21年,キヨソーネは明治天皇の肖像を銅版彫刻した。3)石版石版印刷は万延元年(1860)日本に伝来し暮末のうちに実用化されたとされる。石版印刷は版画に直接油性のチョークで描き,描いたそのままの筆勢・筆力を表現できるので一部の画家たちが盛んに使用している。明治に入り,石版はいよいよ盛んになり,石版材料店や石版印刷所が開かれた。また,写真を石版に製版できるようになり,美術複製にも活用された。明治4年(1871),写真師として知られる下岡蓮杖は「徳川家康の衣冠束帯の半身像」及び「富士山の図」を砂目石版で20部制作している。明治6年,川上冬崖は石版刷りを完成し,さらにその翌年,小山正太郎と石版図画教科書,「写生法範」(鉛筆画手本)を刊行した。明治7年,銅版印刷の玄々堂は石版印刷を開始。明治9年,紙幣寮は石版印刷師C.J.ポラードを雇い石版印副術を指導させた。また,石版画家フォンタネージが工学寮外国人教師として来日した。フォンタネージは来日の際,イタリア・フランスからギリシャ以来の彫刻の石脅像をはじめ,人物,風景,動物,花鳥等,新古名家の作品の写真,石版,銅版の複製品,その他の資料,材料,用具を持参し,実技にこれらを鉛筆やコンテで模写させた。明治9年,鐙川式胤「観古図説」9冊,内陶器編7冊は亀井至ー画の石版墨一色刷りに,川端玉章がひとつひとつ彩色。明治10年,石井重資が石版多色印刷を行なう。明治11年,「小学普通画学本」は洋紙に石版印刷で刊行。明治13年,「国華余芳」大蔵省印刷局刊(色刷石版による,正倉院御物等の図集。)明治14年,写真転写による精巧な石版印刷が本格的に行なわれ始めた。明治35年になり,百貨店を主とし,ポスターが制作が盛んとなり,35色に及ぶ多色-242
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